ゆらぐ蜉蝣文字


第8章 風景とオルゴール
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8.11.13


. 春と修羅・初版本

27わたくしは森やのはらのこひびと
28芦(よし)のあひだをがさがさ行けば
29つつましく折られたみどりいろの通信は
30いつかぽけつとにはいつてゐるし

「森やのはらのこひびと」は、文字どおりの意味に受け取りたいと思います。つまり、ここには、故郷の《大地》に対する作者の深い愛着が表明されているのです。「森やのはら」を、人間の恋人やセクフレの代用にするという意味ではありません。

「芦(よし)のあひだをがさがさ行けば」という1行は、この日作者が、湿地に足を取られながら、どれだけものすごい“藪漕ぎ”を強いられたかを教えてくれます。
この詩は、いかにも軽やかにすいすいと野原を闊歩したかのように書いていますが、どうしてどうして、原野の踏み跡をたどって歩いてゆくのは、そんな容易なことではありません。慣れていなければ、ヨシの鋭い葉のふちや折れた枝、またサルトリイバラやタラのトゲで、腕も脚も傷だらけになってしまいます。

…しかし、自然と交わるために、それほどのエネルギーを費やした作者に対して、「よし」の繁みはきちんと報酬を返してくれます:それが「つつましく折られた」ラブレーターだというわけです。
ここには、故郷の山野に、《大地》に向けられた・作者の熱い思いが溢れています。これは、性欲処理やセックスの代償行為などではありませんw

ところで、《序説》-5- p.2 ←こちらにも書いたように、「みどりいろの通信」には、少し問題があります:画像ファイル・フクログモ類の巣

これは、フクログモ類の巣で、ススキ、ヨシなどイネ科の葉を、“ちまき”のように巻いて巣を作る蜘蛛です──ですから、人間に宛てた「通信」ではないし、ましてラブレーターなんかではありません!間違っても、封を切って開けたりしてはなりません!!! フクログモ類のなかには、カバキコマチグモなど、ヒトを刺す毒蜘蛛もいるからです。体質によっては、毒が回って病院行きにもなりかねません。。。

問題は、この「みどりいろの通信」の封筒の中で起きている“子育て”です。フクログモの子どもは孵化すると、母親の生きた身体を食べて成長するのです。雌蜘蛛が、自分の産んだ子ども達にじわじわと食い殺されてゆく。。。それが、封筒の中で起きていることがらです。これは本能で定められた生態ですから、変えようがありません。フクログモにとっては、人間の赤ん坊が声を上げて泣くよりも自然なことなのです。

宮沢賢治は、↑この生態を知って、この詩を書いたのでしょうか?‥ギトンが疑問に思っているのは、そのことです。。。

知らなかったと思います。もし知っていたら、29-30行目は、書かれなかったと思うのです。

『洞熊学校を卒業した三人』や『フランドン農学校の豚』を書いた賢治ですから、もし知っていたら、この衝撃的な事実を自分の哲学に取り入れて、何か別の寓話か詩を書いたと思いますが、“惨劇”の現場を自分宛てのラブレターと見なして軽く通り過ぎることは、できなかったはずです。

そういうわけで。。。 フクログモの生態に眼をつぶって、「つつましく折られたみどりいろの通信」という作者の言葉を快く受け入れることは、できなくなってしまいました。
無理に目をつぶらないほうがよいでしょう。どんな文豪の傑作でも、時間が経てば無効になってしまう部分はあるのです。。。

. 春と修羅・初版本

31はやしのくらいとこをあるいてゐると
32三日月がたのくちびるのあとで
33肱[ひじ]やずぼんがいつぱいになる

「肱」を、「また」と読まないでくださいw

「三日月がたのくちびるのあと」は、ヌスビトハギのタネ(果実)でしょう::画像ファイル・動物散布

ヌスビトハギ↑は、たしかに、「くちびる」の形をしています。横に並んでてサングラスみたいですけど…。この“さや”の表面に逆毛がたくさんついていて、衣服や動物の毛にひっついて移動するのです。

ヌスビトハギのように、動物の身体や人間の衣服に付着して“旅”をするタネの戦略を、《動物散布》と云うそうです。ほかにも、アメリカセンダングサ、オナモミ、イノコズチ、…などなど、‘ひっつきむし’は、いろいろあります。



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