ゆらぐ蜉蝣文字


第8章 風景とオルゴール
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  【86】 鎔岩流



8.12.1


「鎔岩流」は、「一本木野」と同じ1923年10月28日(日曜日)付、岩手山麓・一本木野を歩いて横断した作者は、《焼走り溶岩流》に到着したところです:地図・一本木野

. 春と修羅・初版本

01喪神のしろいかがみが
02薬師火口のいただきにかかり
03日かげになつた火山礫堆(れきたい)の中腹から
04畏るべくかなしむべき砕塊熔岩(ブロツクレーバ)の黒

このスケッチは、形式的にも内容的にも、「一本木野」の続きになっています。「一本木野」は、2回の字下げ“呼びかけ”行を挟んで、前半18行が叙景描写、後半18行が内心の表白でした。
「鎔岩流」は、最初に、↑場所を紹介する叙景を4行だけ入れた後、5行目からいきなり内心の表白が始まり、9行目からは、作者の行動にしたがって展開する風景がつぎつぎに述べられてゆく体裁をとっています。

ところで、タイトルの「鎔」という字ですが、漢和辞典を見ますと(新字源):

【鎔】…【熔】俗字
……Bとかす。金属をとかす。Cとける。金属がとける。「鎔解」(同)溶。(参考)溶が書きかえ字。

【溶】…
……Bやすらか(安)。ゆったりしているさま。「溶然」C→溶溶。Dとける。水にとける。液体状になる。(同)鎔・熔・融。(参考)鎔・熔の書きかえ字。
【溶岩】(鎔岩・熔岩の書きかえ)岩漿が噴火によって地表に流れ出たもの。また、その冷却して固まったもの。

と書いてあって‥、なるほど!
「鎔」が本字で、「熔」は俗字、「溶」は書きかえ字だそうです。ちなみに、「溶鉱炉」「溶接」も、「鎔鑛爐」「鎔接」が本字とか。。。

まぁそういうわけで、「鎔岩流」は「溶岩流」と同じことです。。

《焼走り溶岩流》は、東岩手火山の北東斜面山腹から山麓にかけ、標高約1200m〜550m、約4kmにわたって広がっている安山岩の溶岩流で、山腹にできた噴火口から流れ出して固まったものです。噴火年代は、1719年説と1732年説があります。18行目に「貞享四年」とあるのは、今日では誤りです:画像ファイル・岩手山

なお、《貞享三年》(1686年)噴火は、岩手山の噴火記録の中で最も多くの記録が残されている噴火なのだそうですが、《焼走り溶岩流》とは別です:文献史料に基づく,岩手火山における江戸時代の噴火活動史

☆(注) 岩手山は活火山でして、ごく最近も火山活動が見られたため登山禁止になっていました。いちばん最近の噴火は、宮澤賢治の亡くなった翌年(1934年)に起きています。その年、東北は大冷害の凶作に見舞われました。それで、ちょっと気づいたのですが、『グスコーブドリの伝記』で、カルボナード島火山を噴火させて空気中の二酸化炭素を増やせば冷害を防げると言っていますが、疑問ですねw火山灰が広がると太陽の光を散乱させてしまうので、かえって冷害をもたらすおそれもあります!!!!
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