10/15の日記

02:19
【ユーラシア】ルバイヤートと宮沢賢治(4)

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岩手大学 自然観察園    







 こんばんは。(º.-)☆ノ




 前回は、童話『若い研師』〜『チュウリップの幻術』から引用したので、ずいぶん長々しいブログになってしまいました。



 ところで、この系列の最初の原稿が東京で書かれているとすると、‥そして、もし作品のヒントを得た場所があるとするなら、それはどこなのだろうと、ずっと考えていました。

 途中に、


「遠い死火山の雪も」

『若い研師』


「さっきまで雲にまぎれてわからなかった雪の死火山もはっきりと青白いそらに立ちあがった。」

『研師と園丁』


 とあって、この「死火山」が手がかりになりそうです。季節の設定は5月ですから、5月にまだ雪をかぶっている高い山です。

 盛岡高等農林学校の植物園(現・岩手大学自然観察園)も考えたのですが、そこから見える岩手山は死火山ではなく、休火山です。⇒:盛岡高等農林学校(3)

 そうすると、花巻から見える早池峰山でしょうか。しかし、花巻には、農園のモデルになるような公園は、1921年当時にはまだありません。

 東京の小石川植物園(東京大学自然教育園)は、どうでしょうか? 賢治は、1916年の夏季休暇に東京に滞在した時は、小石川植物園を、(おそらく何度も)訪れて、短歌を残しています。また、1921年に東京に滞在した下宿先から歩いて行ける距離です。ここからは富士山が見えます。もっとも、富士山も死火山ではなく休火山ですが‥ ⇒:トキーオ(14):小石川植物園

 

 けっきょく、よくわからないのですが、東京滞在中の執筆ということから考えると、小石川植物園が有力そうです。この植物園ならば、「園丁」にあたる人も働いていますし‥





  
小石川植物園






 さて、金子民雄さんは、この『若い研師』の「チュウリップ酒」について、つぎのように述べておられます:




「酒を飲まないはずの賢治は、どうやら野葡萄から赤ワインを自分で醸造し、飲んでいたとも思われる。当時、これは密造酒だった。
〔…〕

 『酒は飲まない』はずの賢治がチューリップのように赤い酒に惹かれ、なぜ何度も詩や童話を書いたり、自家製のものを飲んでみる気になったのか。やはりそこには、オマル・ハイヤームの影響が相当あったとしか思えないのだ。」

金子民雄『ルバイヤートの謎』,pp.154-155.




 前回、『若い研師』の散逸部分は『研師と園丁』で補って精査しましたが、醸造方法を述べたくだりは、この童話群にはないようです。

 ブドウ酒醸造については、同じ時期に書かれた別の童話『葡萄水』のほうに詳しく書かれています。

 また、『注文の多い料理店』収録の童話『かしはばやしの夜』にも、↓つぎのくだりがあります:



「『清作は、一等卒の服を着て
  野原に行つて、ぶだうをたくさんとつてきた。

  と斯かうだ。だれかあとをつゞけてくれ。』

 『ホウ、ホウ。』柏の木はみんなあらしのやうに、清作をひやかして叫びました。

   
〔…〕

 『清作は、葡萄をみんなしぼりあげ
  砂糖を入れて
  瓶にたくさんつめこんだ。

  おい、だれかあとをつゞけてくれ。』

 『ホツホウ、ホツホウ、ホツホウ、』柏の木どもは風のやうな変な声をだして清作をひやかしました。

   
〔…〕

 『清作が 納屋にしまつた葡萄酒は
  順序たゞしく
  みんなはじけてなくなつた。』

 『わつはつはつは、わつはつはつは、ホツホウ、ホツホウ、ホツホウ。がやがやがや……。』

 『やかましい。きさまら、なんだつてひとの酒のことなどおぼえてやがるんだ。』清作が飛び出さうとしましたら、画かきにしつかりつかまりました。」

『かしはばやしの夜』


 これら“ブドウ酒密造”の歌↑は、『かしはばやしの夜』と『葡萄水』に、ほぼ共通しています。




 細かい考証を書くと読者諸氏にはわずらわしいので省略しますが‥、これらの歌は、『注文の多い料理店』編集中に、『葡萄水』から取って『かしはばやしの夜』に挿入されたと思われます。

 つまり、このようになります↓




 『かしはばやしの夜』初期形成立(1921.8.25.?)………

 『葡萄水[初期形]』(1921.9.?-22.初) → 作中歌を『かしはばやしの夜』に挿入(1922-23?) → 『葡萄水[後期形]』(1922-23)















「清作は、をとなの癖に、今日は朝から口笛なんぞ吹いてゐます。

 畑の方の手があいて、二三日野原へ葡萄採りに出られるやうになったからです。

 そこで清作は、兵隊の上着をまっ黒戸棚の中から引っ張り出します。一等卒の上着です。

 いつでも野原へ出かける時は、きっとこいつを着ることになってゐます。

   
〔…〕

  『清作は、一等卒の服を着て、
   野原に行って、
   葡萄を一杯とって来た』

   
〔…〕


 夜になりました。
〔…〕清作は〔…〕大きな木の鉢の中へ葡萄のつぶをパチャパチャむしってゐます。

 
〔…〕いや、清作さん。早く葡萄の粒を、みんな桶に入れて軽く蓋をしておやすみなさい。さよなら。

   
〔…〕

 あれから丁度、今夜で三日です。

   
〔…〕

 おかみさんが例の漆塗りの鉢の上に笊を置いて、桶の中から半分潰れた葡萄を両手に掬って、お握りを作るやうな工合にしぼりはじめました。葡萄のまっ黒な菓汁は見る見る鉢にたまります。清作も手伝ひながら云ひました。

 『ぢゃ、今年ぁこいつさ砂糖入れるべな。』

 『罰金取らへらんすぢゃ。』

 『うんにゃ。税務署に見
(め)っけらへれば、罰金取らへる。見っけらへなぃばすっこすっこど葡ん萄酒呑める。』

 『なじょにして秘
(かぐ)さあんす?』

 『うん、砂糖入れで、すぐに、瓶さ詰めでしむべ。そして落しの中さ置ぐべ。』
〔…〕

 砂糖が来ました。清作はそれを鉢の汁の中に投げ込んで掻きまはし、その汁を今度は布の袋にあけました。袋はぴんと張り切ってまっ赤なので、

 『ほう、こいづはまるで牛の胆のよだな。』と清作が云ひました。そのうちにおかみさんは、瓶を洗って持って来ました。それから二人はせっせと汁を瓶につめて栓をしました。
〔…〕

  『清作は、潰し葡萄を絞りあげ、
   砂糖を加へ、
   瓶にたくさんつめ込んだ。』

 と斯う云ふわけです。

   
〔…〕

 あれから六日たちました。山はなかごろまで雪でまっ白です。
〔…〕

 『ボッ』といふ爆発のやうな音が、どこからか聞えて来ました。
〔…〕

 『ぢゃっ。ぢゃっ。ぢゃ、ぢゃ、ぢゃ、ぢゃ、ぢゃぁ、葡ん萄酒はじけでる。葡ん萄酒はじけでる。』

 
〔…〕たしかに四十本の葡萄酒は、大低はじけて、落しの底にながれてゐました。

   
〔…〕

  『清作の 落しの中の葡萄瓶。
   十日もたゝず、
   みんなはじけてなくなった。』

 と斯う云ふわけです。」

『葡萄水[初期形]』





 野ブドウの醸造法を書いていますが、やり方はかんたんで、実をつぶして絞った汁に砂糖を加えて、適当な温度の場所に置いておけばよいのです。

 ところが、清作は、酒税吏に見つからないように瓶を密封したために、発酵で発生した二酸化炭素の圧力で瓶が爆発して、ブドウ酒は全部流れてしまいました。



 しかし、この『葡萄水』は、『若い研師』などの“チューリップの花冠に湧く酒”のイメージからは、ずいぶん離れてしまっています。

 また、醸造の過程で、ブドウ搾り汁の中に砂糖を入れることから、


「ぎらぎら光ってすきとほる蒸気が丁度水へ砂糖を溶かしたときの様にユラユラユラユラ立ち昇ってゐるでせう。おゝ光が湧き立つ、湧き立つ、
〔…〕
『若い研師』


 に相当する“水中かげろう”の描写が『葡萄水』にもあってよさそうなのですが、それはありません。

 『葡萄水』での賢治の関心は、ブドウ酒の陶酔よりも、密造酒をめぐる農民と酒税吏とのかけひきに、より向いているように見うけられます。



 むしろ『かしはばやしの夜』のほうが、“人と自然との緊張関係”など、『若い研師』系列に近いものをより多く含んでいるかもしれません。







 けっきょく結論として‥: 『ルバイヤート』の影響を受けた『若い研師』「チュウリップ酒」系列には、酒造法に関することは書かれていない。他方、野ぶどうワインの製造法が書かれた『葡萄水』は、『ルバイヤート』の影響を受けた系列とは異なる。

 したがって、賢治の“自家ワイン”製造は、地元で行われていた密醸造の影響を受けたもので、『ルバイヤート』からの影響とは、いちおう別―――とギトンは考えます。

 賢治は、『ルバイヤート』に接するより以前から、近在の農村で行われている野ブドウ酒の密造については、詳しく知っていたのではないかと思います。






   




B 「剽悍な刺客」のモチーフ







28紫磨銀彩に尖つて光る六日の月

29橋のらんかんには雨粒がまだいつぱいついてゐる

30なんといふこのなつかしさの湧あがり

31水はおとなしい膠朧体だし

32わたくしはこんな過透明な景色のなかに

33松倉山や五間森荒つぽい石英安山岩
(デサイト)の岩頸から

34放たれた剽悍な刺客に

35暗殺されてもいいのです


36  (たしかにわたくしがその木をきつたのだから)

37   (杉のいただきは黒くそらの椀を刺し)

38風が口笛をはんぶんちぎつて持つてくれば

39  (氣の毒な二重感覺の機關)

40わたくしは古い印度の青草をみる

41崖にぶつつかるそのへんの水は

42葱のやうに横に外
(そ)れてゐる

43そんなに風はうまく吹き

44半月の表面はきれいに吹きはらはれた

   
〔…〕

48松倉山松倉山尖つてまつ暗な悪魔蒼鉛の空に立ち

49電燈はよほど熟してゐる

50風がもうこれつきり吹けば

51まさしく吹いて来る劫
(カルパ)のはじめの風

52ひときれそらにうかぶ暁のモテイーフ

宮沢賢治『春と修羅』「風景とオルゴール」


 ⇒:画像ファイル:松倉山





「最後にもう一つだけ、賢治とオマル・ハイヤームとの、かすかなつながりを示すものを紹介したい。
〔…〕

 この詩のなかで賢治は、『わたくしは古い印度の青草』を見、刺客の現れそうなこの山は『まつ暗な悪魔蒼鉛の空に立』っているのだとも言っている。
〔…〕どうもこの刺客のくだりは、前後の雰囲気からして11世紀のペルシャで誕生したという暗殺者教団『アサシン』を彷彿とさせる。このアサシンがまた、オマル・ハイヤームと関係があることは、フィッツジェラルドの『ルバイヤート』のなかでも語られていた。」
金子民雄『ルバイヤートの謎』,pp.156-157.



 “暗殺教団(アサシン)”の伝説は、中世シーア派の分派イスマイリ派に属する教団が、要人を暗殺するために、若者を拉致して美女と美酒に満ちた山中の秘密の“楽園”に連れ込み、たっぷり歓楽を味あわせた後で元に戻す。そして、“楽園”にまた行きたければ誰某を殺害して来いと命じて、多くの刺客を操った―――という話です。⇒:wiki 暗殺教団

 “暗殺教団”は、西アジア史の有名な話ですから(リンクの wiki によると、史実からはほど遠いようですが)、『ルバイヤート』を通さないでも、賢治は他のソースから知っていただろうと思います。

 たしかに、この詩は、インドやペルシャ、あるいはアラビア(「まつ暗な悪魔」→“ランプ”の魔人)を思わせるものに満ちています。しかし、オマル・ハイヤームの思想とのつながりを探るには、それよりも、詩に盛られた思想内容を見ていったほうがよいかもしれません。



 


 この詩「風景とオルゴール」は、雨上がりの夜(まだ夜半前)、花巻の豊沢川沿いを家路に向かって歩いている風景ですが、

 引用の最後のほうで、


「まさしく吹いて来る劫
(カルパ)のはじめの風」


 と言っているように(「カルパ」は仏教の時間単位で、約40億年)、驟雨の後の清新な風景の中で、すべてが洗い流され生まれ変った新しい世界の誕生を詠っているのです。まだ宵の口なのに「暁のモテイーフ」が空に浮かぶのは、そのためです。


 ⇒:《ゆらぐ蜉蝣文字》8.4.7:尖つて光る六日の月

 ⇒:《ゆらぐ蜉蝣文字》8.4.9:剽悍な刺客に‥

 ⇒:《ゆらぐ蜉蝣文字》8.4.14:カルパのはじめの風






「わたくしはこんな過透明な景色のなかに
〔…〕

 放たれた剽悍な刺客に

 暗殺されてもいいのです」


 のクダリは、「暗殺されて」透明な風景に溶け込んでしまってもよい、という陶酔的気分を示している点では、『ルバイヤート』の耽美的世界に近いかもしれません。

 しかし、“カルパのはじめの風”が吹きすさんでいる風景を重視するならば、むしろ自分も、古い生命は削り去られて死に絶えて、新たな生命を得て再生したい―――という気分かもしれません。だとすると、ハイヤームの思想とは異なるように思われます。

 ハイヤームは、宗教の告げる“来世”も“再生”も、いっさい信じないことを根本思想としているようだからです。ハイヤームにとっては、人間はいったん死んだらそれでおしまい‥、永久に戻っては来ない。だから現世を思いきり楽しめ―――ということだと思います。 













 ところで、ギトンは、ハイヤームの思想的影響をほかに挙げるならば、童話『毒もみの好きな署長さん』
〔制作年代は 1924-26年か〕ではないかと思います。

 この童話の舞台は「ボハラ」(ブハラ)。「氷質のジョウ談」に出てきた「サマルカンド」にも近い(約250km)西トルキスタンの都市で、いわば『ルバイヤート』圏域の中にあります。⇒:ルバイヤートと宮沢賢治(1):サマルカンド

 


 「毒もみ」とは、川に毒を流して、仮死して浮いた魚を捕る漁法ですが、「ブハラ国」では法律で禁止されており、「毒もみをするものを押へるといふことは警察のいちばん大事な仕事でした。」

 ところが、町に来た新任の警察署長は、じつは「毒もみ」が大好きで、こっそり「毒もみ」をしていたのが、いつか町長の耳に入りました。そこで町長が警察署へ行って、それとなく署長に尋ねると、署長は自分が犯人だと、かんたんに白状して処刑されてしまいます。⇒:毒もみのすきな署長さん




「さて署長さんは[縛]られて、裁判にかゝり死刑といふことにきまりました。

 いよいよ巨きな曲った刀で、首を落されるとき、署長さんは笑って云ひました。

 『あゝ 面白かった。おれはもう、毒もみのことときたら、全く夢中なんだ。いよいよこんどは、地獄で毒もみをやるかな。』

 みんなはすっかり感服しました。」

『毒もみのすきな署長さん』





 「毒もみ」という趣味も、考えようによっては、ハイヤームの飲酒享楽と同様の現世的快楽かもしれません。ハイヤームの飲酒が、宗教的罪だとすれば、「毒もみ」は法律的犯罪です。

 この世に生きている間に、現世的享楽を尽くす。そのせいで命を失うことになっても悔いはない、という「署長さん」の精神は、『ルバイヤート』の思想に通じるのではないでしょうか?‥







  
ヤルカンド    





 同様の“西域”関連で言えば、↓つぎのルバイイは、どうでしょうか?




     百五

 ただここに泉ある流沙のすがた、
 ひと目だに――仄かなりとも現はれよ。
 おとろふる旅人は、野に蹈まれたる
 草の葉の起きあがるごと、躍りゆかまし。




 ↑これは、竹友藻風訳のフィッツジェラルド版『ルバイヤット』に含まれているのですが、「流沙」「泉」「旅人」とあれば、↓この賢治童話を想起しないわけにいきません:



「流沙
(るさ)の南の、楊で囲まれた小さな泉で、私は、いった麦粉を水にといて、昼の食事をして居りました。

 そのとき、一人の巡礼のおぢいさんが、やっぱり食事のために、そこへやって来ました。私たちはだまって軽く礼をしました。
〔…〕
『雁の童子』




 『雁の童子』は「10/20藍色罫」に書かれていることから、制作年代は 1922-23年ころ。舞台は、東トルキスタン(タリム盆地)のオアシス都市「莎車(ヤルカンド)」です。

 「流沙」は、辞書を引きますと、「砂漠。特に、中国西北方の砂漠」とあります。ただ、辞書に出ている読みは「りゅうさ」。寺田寅彦の随筆にもタクラマカン砂漠を指した用例があって、当時はふつうに使われていた言葉であることがわかります。







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カテゴリ: ユーラシア

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