ゆらぐ蜉蝣文字


第8章 風景とオルゴール
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8.4.9


. 春と修羅・初版本

30なんといふこのなつかしさの湧あがり
31水はおとなしい膠朧体だし
32わたくしはこんな過透明な景色のなかに
33松倉山や五間森荒つぽい石英安山岩(デサイト)の岩頸から
34放たれた剽悍な刺客に
35暗殺されてもいいのです
36  (たしかにわたくしがその木をきつたのだから)
37   (杉のいただきは黒くそらの椀を刺し)





作者は、「わたくしは‥松倉山や五間森‥から/放たれた剽悍な刺客に/暗殺されてもいいのです」と言います。その理由として、「たしかにわたくしがその木をきつたのだから」と言うのです。

「おとなしい膠朧体」の水をたたえた「なつかし」い「過透明な景色のなか」で、その暗く聳える「岩頸」に殺されるのならば、むしろ至福だろうということです。
「わたくしがその木をきつたのだから」については、↓このあとで考察しますが、いずれにせよ、なにか“罪の意識”があって、“静かな死”を望む美意識に傾いているのです。

さて、「わたくしがその木をきつたのだから」については、多くの解説が、“この日、賢治は五間ヶ森方面へ木を伐りに行った帰りだった”と書いています。
じっさいに木を伐ったのだとしたら、作者が“処罰”を受ける罪は、森林法違反(盗伐)、あるいは、自然を破壊したモラルの罪ということでしょうか‥?

しかし、この解釈には、どうしても疑問があります。賢治の職業(農学校教師)から考えて、日曜日に森林伐採作業に参加するなどというのは、とても考えにくいからです。しかも、賢治はひとりで歩いています。

たしかに、奥田博氏の実踏調査によれば、《渡り橋》のところから林道に入ると、五間ヶ森の中腹までは、徒歩1時間程度で行けるようです。松倉山も、中腹の石切り場までは、道が付いています:☆

☆(注) 奥田博『宮沢賢治の山旅』,1996,東京新聞出版局,pp.124-127.

五間ヶ森へ行って来たとすれば、大沢温泉のほうから来たのではなく、五間ヶ森から下りて来て、《渡り橋》のたもとに出たことになりますが、‥その場合には、「ダアリア複合体」の街路灯の場所が、鉛街道沿いではないことになってしまって、疑問です。当時、枝道の林道にまで街路灯が設置されていたとは思えないからです。

やはり、五間ヶ森へ行って来たという想定はできないと思うのです。

また、36行目には、「その木をきつた」とあります。「その木」と言うからには特定の一本の木でしょう。だとすると、なにか霊力のある神木だったということになるのでしょうか‥?!

ギトンは、「木をきつた」は、現実の行為ではないと思います。。。
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