10/12の日記
23:40
【ユーラシア】ルバイヤートと宮沢賢治(1)
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こんばんは。(º.-)☆ノ
金子民雄『ルバイヤートの謎』,集英社新書。
こちらの金子さんの新著↑では、ハイヤームのルバイヤートが宮沢賢治にもたらした影響についてもページを割いています。
金子さんが指摘する影響は3点あって:
@ 「天の椀」というモチーフ
A チューリップのモチーフと、自家ワイン醸造への関心
B 「剽悍な刺客」のモチーフ
そこで、以下では、これら3点を順に検討したうえ、ほかの論者からの指摘についても見ておきたいと思います:
C ラフカディオ・ハーン『塵』からの影響
D 野尻抱影と星座への関心
まず、
@ 「天の椀」というモチーフ
については前回すでに書きましたが、
金子さんは、実例として↓つぎの口語詩を引いておられます。(「天の椀」「天椀」などの用例は賢治作品に多いので、実例はさまざまあります)
「 氷質のジヨウ談
職員諸兄 学校がもうサマルカンドに移つてますぞ
杉の林がペルシヤなつめに変つてしまひ
花壇も藪もはたけもみんな喪くなつて
そこらはいちめん氷凍された砂けむりです
白淵先生北緯三十九度あたりまで
アラビヤ魔神がはたらくことになつたのに
大本山からなんにもお振れがなかつたですか
さつきわれわれが教室から帰つたときは
そこらは賑やかな空気の祭
青くかがやく天の椀から
ねむや鵝鳥の花も胸毛も降つてゐました
それがいまみな あの高さまで昇華して
ぎらぎらひかつて澱んだのです
えゝ さうなんです
もしわたくしが管長ならば
こんなときこそ布教使がたを
みんな巨きな駱駝に載せて
あのほのじろく甘い氷霧のイリデスセンス
蛋白石のけむりのなかに
もうどこまでも出してやります
そんな沙漠の漂ふ大きな虚像のなかを
〔…〕」
『春と修羅・第2集』#401,1925.1.18.【雑誌発表形】(『銅鑼』,13号,1928.2.)
↑文中「学校」は、当時賢治が勤めていた花巻農学校。
「サマルカンド」は、中央アジア・西トルキスタン(“西域”は、東トルキスタン)の都市で、シルクロードの中継点として栄えました。⇒:天山北路・サマルカンド
「ペルシヤなつめ」は、西アジアに多い“ナツメヤシ”のことと思われます。ハイヤームのルバイヤートにも、ナツメヤシの実やナツメヤシ酒を歌ったものがあります。賢治が読んだ可能性のある荒木茂訳では、たとえば↓次のような歌があります:
第六拾壱
◎年老いて愛の絆に導れぬ、
さなくば如何に我が手と棗椰子酒(ナピーダ)の盃、
理智の生める悔悟も愛人之を擾(みだ)せり、
忍耐の縫ひし衣も時と共に破るゝ如く。
荒木茂「オムマ、ハヤムと『四行詩』全訳」, in:『中央公論』,第35年11号,1920年10月,説苑pp.1-43.
「白淵先生」は、花巻農学校教諭で賢治の同僚だった白藤(しらふじ)慈秀教諭を指す。浄土真宗・東本願寺派の僧侶で、教師になる前は、布教使をしていたことがあった。1926年、賢治の退職と同時に農学校を退職、盛岡・願教寺の院代となった。戦後は久慈高等学校長など。(森荘已池『宮澤賢治の肖像』,1974,津軽書房,pp.52,59. 堀尾青史『年譜 宮澤賢治伝』,中公文庫,1991.)
「北緯三十九度あたりまで」―――花巻農学校(現・花巻市ぎんどろ公園)は、北緯39度23分7秒。
「アラビヤ魔神」からは、アラビアンナイト(アラディンの魔法のランプなど)の影響も考えられますが、
ここで展開されている砂漠のイメージは、「そこらはいちめん氷凍された砂けむりです」「氷霧のイリデスセンス」(イリデッセンスは、光の干渉によって、鉱物が虹色に輝く光学現象)など、アラビア半島の亜熱帯砂漠ではなく、もっと北方、中央アジア方面の砂漠です。やはり、主たるイメージの舞台は、ハイヤームが生きていたイラン高原〜中央アジアの地域と考えてよいでしょう。
「大本山からなんにもお振れがなかつたですか」―――この詩全篇は、浄土真宗の僧侶である白藤教諭にあてこすった冗談という設定で書かれていますが、作者が浄土真宗を揶揄するこの詩の思想的バックボーンは、どうみても日蓮宗ではありません。
「あのほのじろく甘い氷霧のイリデスセンス/蛋白石のけむりのなかに」など、魅惑的な幻想世界への惑溺を誘う記述に満ちています。⇒:蛋白石(オパール)
むしろ、浄土真宗に限らずあらゆる宗教的戒律から逸脱しようとするルバイヤートの耽美主義が感じられます。
「青くかがやく天の椀から
ねむや鵝鳥の花も胸毛も降つてゐました」
これが↑、この詩の幻想風景を描くことになった動機で、真冬(1月15日)の午後、空からネムノキの花やガチョウの羽毛のような柔かい軽い雪が、ふわふわと降りてきた珍しい天候です。
そして、この詩は、「天の椀」という語が使われているだけでなく、全篇がルバイヤート風の世界を彷彿とさせるイメージに彩られているのです。
この詩の下書草稿のなかには、↓つぎのように書いているものも見られます:
「そのときわたくし管長は
ボルドー……
その他甘美な葡萄の産地に対し
乱積雲に葡萄弾(グレプショット)を射撃して今年の酒を高価にせぬやう電令し
〔…〕」
『春と修羅・第2集』#401,1925.1.18.「氷質の冗談」【下書稿(一)手入れ】
グレープショット(Grapeshot)は、ぶどう弾と呼ばれる砲弾の一種で、帆布製の袋に散弾を詰めたもの。ヨーロッパにおいて16世紀から19世紀にかけて海戦で用いられました。(wiki ぶどう弾)
また、グレープショット(Grapeshot)はカクテルの名前にもあって、テキーラを、ホワイト・キュラソー、グレープジュース・ホワイトと混ぜたものだそうです。
ともかく、賢治は、ブドウとの語呂合わせから「葡萄弾」を持ち出して、「乱積雲」の雹によってフランスのブドウ産地が被害を受けるのを防げと言っているのです。
浄土真宗の「管長」が、ワインの値段の心配をするのは奇妙な話ですが、これも、深紅のワインへの耽溺を歌ったハイヤームのルバイヤートが念頭にあれば、理解できることです。
ぎんどろ公園(花巻農学校跡)の“ぎんどろ”の木
そこで次回は第2の論点:
A チューリップのモチーフと、自家ワイン醸造への関心
へ進みたいと思います。
ばいみ〜 ミ彡
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