ゆらぐ蜉蝣文字
□第6章 無声慟哭
63ページ/73ページ
6.4.10
. 春と修羅・初版本
32《ほぉ おら……》
33言ひかけてなぜ堀田はやめるのか
34おしまひの聲もさびしく反響してゐるし
35さういふことはいへばいい
36 (言はないなら手帳へ書くのだ)
「堀田」は、小田島国友、佐藤伝四郎と同級の堀田昌四郎。堀田が、言いかけた言葉をなぜ途中でやめたのかは、分かりません。
本人の性格かもしれないし、教師や他の生徒に気兼ねしているのかもしれない。これから頂上まで登って行こうという時に弱音を吐いたら、先生にも他の友達にも悪いと思ったか。あるいは、ふだんから、自分が何か言っても他の子が反応しないから、最後まで言うのが億劫になってしまう子なのかもしれません。だから賢治は、“引っ込んでないで、言いたいことを言えよ”と、堀田に言ってやりたいのでしょう。
しかし、賢治だって、「柏の後ろの闇が光ったぞ。エグモント・オーヴァーチャーだ」「夜の微塵が降って、鉛の針が流れているな。」などと、わけのわからないことを口に出して言うわけではありません。そういうことは手帳に書くのですw
ここでは、「東岩手火山」の時とおなじように、神秘をしっかりと見つめ、《異界》を体験しつつ、同時に、ほかの人間たちとの現実的な、日常的なつながりを支障なく営むことが課題となっています。‥というより、作者はもうかなり習熟していて、9ヶ月前のような“幻想”“幻怪”に対する恐れやためらいは、今はありません。
それでもやはり、作者には、生徒たちのなにげない言葉の端が、さびしく思われたり、気になります。それがきっかけとなって、《異界》の悲壮な《心象》が展開しようとするからです。
. 春と修羅・初版本
37とし子とし子
38野原へ來れば
39また風の中に立てば
40きつとおまへをおもひだす
41おまへはその巨きな木星のうへに居るのか
42鋼青壮麗のそらのむかふ
37行目から、トシに呼びかける独白が、いきなり始まるのですが、それまでの地の文から浮いてはいません。自然につながっています。
何か言いかけてやめた生徒に対する、「さういふことはいへばいい」というコメントが、言葉にならないでいた作者自身の深層意識を抽き出す役割をしているからです。
「野原へ来れば」とありますが、カシワの「林」と違う場所を指しているわけではないと思います。岩手山麓のような、草原があったり、ところどころ柏の森があったりするようなひろびろとした場所へやってくると──という意味です。
死んだトシが、今は「巨きな木星」の上にいるのか?と問うていますが、これは、この晩にちょうど木星が、よく見える位置にあったためと思われます。午前0時の星図を見ますと、この夜は、木星が南西の空に出ていたのです:1923年6月3日の夜空
この夜、木星は、西南の空に、堂々たる姿で輝いています。
南方に見える「沼森」の上に天の川とさそり座、左に月、右に木星という配置です。
「鋼青壮麗のそら」── 5.3.19 鋼青はどんな色? で考察したように、「鋼青」は、夕方の水色ではなくて、深い藍色です。ここでは深夜ですが、満月に近い月が光り、また、空が澄んでいるので、夜空は漆黒ではなく、「鋼青壮麗」にかがやいているのです。
木星は、太陽系で最も大きい惑星ですが、地球から肉眼で見ると、月、金星の次に明るい星──金星より小さく見えます。しかし、望遠鏡なら大きさが分かり、条件がよければ縞まで見えます。色は白で、どちらかというと橙色っぽいですね:画像ファイル:木星
41おまへはその巨きな木星のうへに居るのか
42鋼青壮麗のそらのむかふ
43(ああけれどもそのどこかも知れない空間で
44 光の紐やオーケストラがほんたうにあるのか
賢治は、トシの“行く先”についてはいろいろと思い悩んでいて、このあと「青森挽歌」でも、さまざまに想像していますから、ここでも、木星に居ると確信したわけではありません。
「おまへはその巨きな木星のうへに居るのか」と言いながら、2行先では、「けれどもそのどこかも知れない空間で」と言っていて、作者の想像は、どこだか分からない宇宙の彼方へ飛んでいってしまいます。
星の色の感じから言っても、“木星の上にいる”というのは、あまり幸せそうではありませんね‥
そこで、
45 …………此処(こご)あ日あ永(な)あがくて
46 一日(いちにぢ)のうちの何時(いづ)だがもわがらないで……
47 ただひときれのおまへからの通信が
48 いつか汽車のなかでわたくしにとどいただけだ
という、トシが苦しんでいるような夢の追憶☆につながって行きます。
☆(注) 「青森挽歌」では、これと同じ夢を母がトシの生前(1922年の夏)に見たと言っています。賢治が「いつか汽車のなかで」見たというのが、トシの生前なのか死後なのかは、書かれていないので不明です。
木星は大きいですけれども、回転は速いので、自転周期は地球より短い──地球より日が短いのです。賢治もそれは、知識として知っていたはずです‥
ですから、ここではもう、賢治の想像は木星から離れています。
.