ゆらぐ蜉蝣文字


第8章 風景とオルゴール
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8.4.12


天に向かって、まっすぐに立ち上がる「杉」は、かつて嘉内と賢治の間では、ふたりの“内密な友情”の誓いを確認するイメージでした:

「花巻と聞けばこれでも
 窓をあげて
 まっくらのなかに杉を、見にけり」

↑これは、嘉内が1917年、“銀河の誓い”の1週間後に詠んだ歌ですが、地質調査に出かける夜汽車で、花巻を通過した時のことと思われます★

★(注) 菅原,op.cit.,p.46.

この「杉」は、花巻・湯口村にあった《一本杉》と思われ、これは、杉とケヤキが接合して立っている珍木だったそうです。賢治のほうは、『春と修羅(第1集)』で、次のように詠んでいます:

. 春と修羅・初版本

「いつぽんすぎは天然誘接ではありません
 槻と杉とがいつしよに生えていつしよに育ち
 たうたう幹がくつついて
 險しい天光に立つといふだけです」
(天然誘接)

「種類の異なった二つの木の幹が接合し一本の巨木になって険しい天光に立つという姿は、共に理想を同じくして歩いていく二人の姿に似ているところから、自分たちの姿になぞらえてよく話題にしていたにちがいない。だからこそ
〔嘉内は──ギトン注〕暗がりの中で見えないとわかっていてもその杉を見ようとしたのだ。この後も『杉』という語は、二人にとって理想に立ち向かう姿の象徴のようなことばとして使われていく。」

◇(注) 菅原,op.cit.,p.47.

したがって、「風景とオルゴール」の《木を伐る》モチーフは、生命力の高揚を抑えこんでしまう行為であるとともに、
「わたくしがその木をきつた」とは、作者の心の中にある《一本杉》──理想に燃えた友情の象徴を、切り倒してしまったという意味なのではないでしょうか?‥

しかも、【第4章】の「天然誘接」で、「險しい天光に立つ」と言われていた「杉」が、ここでは:

37(杉のいただきは黒くそらの椀を刺し)

と、“天を刺している”──聖なる世界に向かって、矛先を向けている、とされている点が重要です。

つまり、いま作者の内部から起き上がってきた意識は、かつての“体制的”でナショナリスティックな《熱い》精神とは、異なるものになっているのです。これは、やがて、【第1章】作品「春と修羅」に見られたような確定した《天・地》の垂直的秩序を相対化する視点となって◆、「序詩」に結実してゆくことになります。

◆(注) 宮沢賢治の場合、絶対的な垂直的秩序に対する「そらの椀を刺し」というアンチテーゼの動きが、《相対化》という方向へ向かうことは重要だと思います。賢治が、“逆方向の絶対化”(たとえば、マルクス主義)に向かわなかったことを、“不徹底だ”として批判する見解は多いと思いますが、ギトンは、そのような見解を採りません。

. 春と修羅・初版本

38風が口笛をはんぶんちぎつて持つてくれば
39  (氣の毒な二重感覺の機關)
40わたくしは古い印度の青草をみる
41崖にぶつつかるそのへんの水は
42葱のやうに横に外(そ)れてゐる

「二重感覺の機關」は、上で述べたような意識の相克・葛藤を指しています。

しかし、「氣の毒な」という言い方は、自分の中にある葛藤だけを言うにしては、すこし変です。おそらくは、嘉内の中にも同様の葛藤はあったし、現在もあるにちがいない‥いや、賢治、嘉内にかぎらず、同時代の多くの青年にそれはあるのだと、作者は考えているのではないでしょうか。
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