ゆらぐ蜉蝣文字


第8章 風景とオルゴール
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8.4.2


. 春と修羅・初版本

04黒曜ひのきやサイプレスの中を
05一疋の馬がゆつくりやつてくる
06ひとりの農夫が乘つてゐる
07もちろん農夫はからだ半分ぐらゐ
08木だちやそこらの銀のアトムに溶け
09またじぶんでも溶けてもいいとおもひながら
10あたまの大きな曖昧な馬といつしよにゆつくりくる
11首を垂れておとなしくがさがさした南部馬

歩いている作者に向かって前方から、馬に乗った農夫が近づいて来ますが、夕闇のなかで、人も馬も、「木だちやそこらの銀のアトムに」半分溶けてしまいそうです。「曖昧な馬」という表現も、輪郭がぼんやりしている意味でしょう。

「アトム」は原子ですけれども‥、ここでは、空中に銀の微粒子が漂っている感じでしょうか?‥おそらく、原子の大きさの銀の微粒子が空気に混じって飛び交っているさまを考えているのだと思います。

2行目で、「つめたくされた銀製の薄明穹」と言っていましたから、
「銀のアトム」は、空気が冷え切ってきていることも表していると思います。闇が輝きでもあるような、たそがれの暗さなのでしょう。

「農夫」は、作品「春と修羅」に登場した《農夫》のような、天から下りて来る超越性はありません。「農夫」から「おれ」が見える/見えないという問題も、ここにはないように見えます。馬も、「サラーブレッド」ではなく、頭が大きくて、「がさがさ」と不細工な南部馬です。質朴な田舎者のように、「おとなしく」「首を垂れて」います。

それでは、彼らは現実的なのかというと‥、闇に溶けていこうとする人と馬なのであり、まったく現実的な風景だとは言えません。『春と修羅』前半とは異なる・新たな《心象》世界を、作者は感じ取ろうとしているのだと思います。

その意味で、7行目の「もちろん」という言い方は面白い。「銀製の薄明穹」や「黒曜ひのき」の寒天が冷たく黒く固まってゆくような《心象》風景を描いてきたのだから、その中にいる「農夫」だって、その風景の中に溶けていくのは当然のことだろう──と言わんばかりです。

. 春と修羅・初版本

12黒く巨きな松倉山のこつちに
13一點のダアリア複合体
14その電燈の企畫(プラン)なら
15じつに九月の寳石である
16その電燈の献策者に
17わたくしは青い蕃茄(トマト)を贈る

地図:大沢温泉付近 ←地図を見てもらうと分かりますが、「松倉山」は、志戸平温泉のすぐ東にある標高384メートルの小さな山です(駒頭(こまがしら)山の西にある標高968メートルの松倉山とは違います。):⇒画像ファイル:松倉山

「一點のダアリア複合体」と言っていますが、14行以下に書いているように、これは、当時としては珍しかった街路灯のようです。

ここで、ちょっと作者の現在位置を確認しておいたほうがよいでしょう:地図:大沢温泉〜松原

作者は、このまま夕暮れの道を歩いて、「松倉山」に近づいて行きますが、19行目に:

19クレオソートを塗つたばかりのらんかんや

29行目には:

. 春と修羅・初版本

29橋のらんかんには雨粒がまだいつぱいついてゐる

とあって、作者は、橋を渡っています。
.
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