ゆらぐ蜉蝣文字


第8章 風景とオルゴール
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8.2.2


. 春と修羅・初版本

71いま見はらかす耕地のはづれ
72向ふの青草の高みに四五本乱れて
73なんといふ氣まぐれなさくらだらう
74みんなさくらの幽霊だ
75内面はしだれやなぎで
76鴇いろの花をつけてゐる
77  (空でひとむらの海綿白金(プラチナムスポンヂ)がちぎれる)
78それらかヾやく氷片の懸吊をふみ
79青らむ天のうつろのなかへ
80かたなのやうにつきすすみ
81すべて水いろの哀愁を焚き
82さびしい反照の偏光を截れ 
(小岩井農場・パート4)

77行目から後は、対応する部分が【下書稿】に無く、【印刷用原稿】作成時の追加です。したがって、「氷片の懸吊」も、1922年5月に小岩井農場で《歩行詩作》を行なった時ではなく、1923年後半に【印刷用原稿】をまとめた時に書き加えたものです。

つまり、「天のうつろ」に輝く「氷片の懸吊」にしろ、作品「雲とはんのき」の「なかぞら」に浮かぶ「氷片の雲」にしろ、“サハリン以後”のテーマである《冷たい》詩世界に属するものです。

「さびしい反照の偏光」という表現も注意を惹きます。「雲とはんのき」で歌われている:

. 春と修羅・初版本

「おれの崇敬は照り返され」
(6行目。のちほど検討します)

と対応するからです。





ところで、上の「小岩井農場・パート4」の71〜76行目:「耕地のはづれ」で「四五本乱れて」いる「氣まぐれなさくら」「さくらの幽霊」(←これは【下書稿】からあるのですが)は、菅原智恵子氏によれば、賢治、嘉内ら《アザリアの4人》を象徴するモチーフです:

「高等農林学校時代の思い出といえば忘れもしない『アザリア』の同人たちだ。中でも保阪嘉内、河本義行、小菅健吉、そして賢治自身。若木のようだった四人の仲間たちはむらきな四本の桜ではなかっただろうか。〔…〕それは桜の木になぞらえた『アザリア』の四人の仲間のことであり、目には見えていないが心には見えている四人のことである」


☆(注) 菅原智恵子『宮沢賢治の青春』,1998,角川文庫,p.173.

じつは、菅原氏によれば、「雲とはんのき」の「おれの崇敬は照り返され…」の歌も、賢治と嘉内の間の交渉に関わるものであり、その点でも、「パート4」の上の引用部分は、「雲とはんのき」に対応しています。

このように、「雲とはんのき」は、【第3章】「小岩井農場」と深いかかわりを持っているのですが、かかわりの具体的な内容・意味は、これから検討して行きます。
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