ゆらぐ蜉蝣文字


第8章 風景とオルゴール
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8.1.34


. 春と修羅・初版本

14   (ちらけろちらけろ 四十雀
15    そのときの高等遊民は
16    いましつかりした執政官だ)

林の中のシジュウカラが、また出てきました。

おしゃべりな小鳥たちと作者の会話を再現すると、↓こんなかんじでしょうか?

「チラケロ…チラケロ…おまえさん、相変わらず風采あがらんな?洋傘が似合わないぜ。」

「なあに、まえは『高等遊民』だったかもしれないが、いまじゃ立派な学校の先生だぞ!」──と賢治。

「高等遊民」は、教育があるのに仕事にも就かないでぶらぶらしている人のこと。

「執政官」は、歴史用語としては、古代ローマのコンスル☆の訳語ですが、ここでは一般的に行政官の意味で、カッコ良さを狙って使っているのだと思います。

☆(注) コンスル(consul): 共和制ローマにおいて、政務官の最高職で、内政の最高責任者、ローマ軍団の最高指揮官であり、国家元首に当たる。「執政官」,「統領」。

賢治が「執政官」は大げさですが、‥まぁ公立学校に勤めていますから、そう言って言えないことはないでしょう…

1918年〜21年までの、うちに《熱い》こころざしを抱きながら、“家事手伝い”という名の無職の境遇に甘んじていた時代を、回想しているのだと思います。

つまり、作者にとっては、職業を持っているということが重要なのではなくて、《熱い》狂熱の時代から脱却して、自分なりの新たな道を歩み始めたことが重要なのだと思います。

この作品のシジュウカラは、世間の人々を象徴しています。

. 春と修羅・初版本

17ことことと寂しさを噴く暗い山に
18防火線のひらめく灰いろなども
19慈雲尊者にしたがへば
20不[貪]慾戒のすがたです

さきほどは、じぶんを「執政官」と称して胸を張っていたのに、「寂しさを噴く暗い山」を見つめています。

「防火線」、または防火帯は、山火事が起きた時に、森林全体に燃え広がらないように、あらかじめ、山の稜線に沿って、木を伐ったり草を焼いてあけた帯状の空き地です:画像ファイル:防火線(防火帯)

防火帯は、ハイキングコースになっていることが多いので、こんど山へ行ったら気をつけて見てください。

ここで作者が描いているのは、暗い森林に覆われた山々の稜線の部分だけが、明るい色の防火帯になって光っているのを見て、ほっとする景観だと思います。

それが、慈雲の言う「不貪慾戒のすがた」にほかならないと、賢治は言うのです。

亡くなる少し前の手紙ですが、

「こんな世の中に心象スケッチなんといふものを、大衆めあてで決して書いてゐる次第でありません。全くさびしくてたまらず、美しいものがほしくてたまらず、〔…〕」
(1932.6.19.母木光宛)

と書いています。

やはり、賢治は、本質的に詩人だったのだと思います。賢治は宗教家ではありませんでした。道徳や戒律を求めて、雨の中を歩いたのではありません。

「さびしくて…美しいものがほしくてたまら」ない気持ちから、色彩の乏しい雨の日の風景の中にも、「美しいもの」を探して歩いたのだと思います。

慈雲の戒律も、賢治の頭と感覚を通過すると、美への渇望に変ってしまうのです。



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