ゆらぐ蜉蝣文字


第8章 風景とオルゴール
218ページ/219ページ


8.14.9


. 春と修羅・初版本

29はねあがる青い枝や
30紅玉やトパーズまたいろいろのスペクトルや
31もうまるで市塲のやうな盛んな取引です

土沢の歳の市のにぎわい──露店ののきに下がってる蛸をからかったり、狐や犬皮の“けら”を被った人たちがざわざわ行き交っている──と並べて、原色透明な宝石や「はねあがる青い枝」の「取引」を持ってくるところが、非凡というほかはない賢治の“魔術”なのです。

「町は二層の水のなか
  そこに二つのナスタンシヤ焔
  またアークライトの下を行く犬
   さうでございます
   このお児さんは
   植物界に於る魔術師になられるでありませう」

(#1057〔古びた水いろの薄明穹のなかに〕[1927].5.7.)

↑上の「冬と銀河ステーシヨン」の最後を、【9】「春と修羅」の結末と比較してみれば、両者の相似と相異は明らかです:

. 春と修羅・初版本

49(このからだそらのみぢんにちらばれ)
50いてふのこずえまたひかり
51ZYPRESSEN いよいよ黒く
52雲の火ばなは降りそそぐ

「春と修羅」の結末では、「修羅」の身を炸裂させるかのように、《天》から「雲の火ばな」が降り注ぎ、《地》の「ZYPRESSEN」(いとすぎ)は「いよいよ黒く」沈んで悼み、天地の不動の垂直構造の中で、行き場を失った「おれ」=「修羅」は、“玉砕”し果てるほかはありませんでした。

しかし、「冬と銀河ステーシヨン」の終幕では:

27パッセン大街道のひのきから
28しづくは燃えていちめんに降り

「しづく」は、《大地》に根を張る「ひのき」の枝から降り注いでいるのです。「青い枝」や、宝石のような「スペクトル」が、「市塲のやうな盛んな取引」を繰りひろげる中で、作者もまた、ゴム長靴や犬の毛皮をつけて市日に集う人々との間で“心象のときめき”を交感しあうことを予感しているのではないでしょうか?‥

その期待は、翌1924年1月20日付で書かれた「序詩」において、「仮定された有機交流電燈」として描かれます:

. 春と修羅・初版本

01わたくしといふ現象は
02假定された有機交流電燈の
03ひとつの青い照明です
04(あらゆる透明な幽霊の複合体)
05風景やみんなといつしよに
06せはしくせはしく明滅しながら
07いかにもたしかにともりつづける
08因果交流電燈の
09ひとつの青い照明です

そのように考えれば、「序詩」の最後に描かれた「気圏のいちばんの上層/きらびやかな氷窒素のあたりから/すてきな化石を發堀したり/あるひは白堊紀砂岩の層面に/透明な人類の巨大な足跡を/發見するかもしれません」という夢のような活動こそが、宮沢賢治自身が、1924年1月の時点で思い描いていた、自己の未来の見取り図だったのかもしれません……
.
次へ
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ