ゆらぐ蜉蝣文字
□第8章 風景とオルゴール
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8.14.2
いちめんの雪に閉ざされた冬景色も、きらびやかで懐かしい世界に変貌します。変化の‘触媒’は、駅(ステーション)、シグナル、電信柱などの鉄道施設と蒸気機関車、そして、「どんどん‥流して」ゆく川の流れ☆です。
☆(注) 作品日付に近い12月初旬に、寒い日を選んでこの作品の舞台(釜石線と猿ヶ石川)に行ってみましたが、流氷は見られませんでした。本州のこのへんの川でも流氷が見られることがあるのかどうか、ギトンには分かりませんが、もし見られるとしても、上流の沢で氷結が起きないと流氷にならないでしょうから、12月初旬はまだ早すぎて無理という気がします。「川はどんどん氷(ザエ)を流してゐる」は、作者のフィクションだと思います。ちなみに、前nの写真は北海道の釧路川橋梁←ここは、“SLと流氷”の撮影スポットとして定評があります。
汽車が走ると、それだけで、周囲の世界は「イーハトブ」になってしまう。かげろうは「青いギリシヤ文字」になり、ヒノキから落ちるしずくは、あるいは凍り、あるいは火のように燃えて降り、川は銀河になり、軽便鉄道はオーケストラになってしまうのです。
宮沢賢治は、本当に汽車が好きだったのですね…
. 春と修羅・初版本
01そらにはちりのやうに小鳥がとび
02かげらふや青いギリシヤ文字は
03せはしく野はらの雪に燃えます
「ちり」、「小鳥」の群れ、「かげらふ」、「ギリシヤ文字」──湧き上がり飛び過ぎるたくさんの細かいものが、この描写の特徴です。それを捉える作者の眼は、雪野原のように広大な視角を収めています。
「かげらふや青いギリシヤ文字」を、【22】「蠕蟲舞手」と同様に理解して、“ギリシャ文字のような線を描いて、ゆらゆらと立ち昇る陽炎”と読むのも、ひとつの読み方です。しかし、作者は、陽炎とともに、実際に意味のある「青いギリシヤ文字」のメッセージが現れては消えるのを、《心象》に見ているのです。
自然物に、このような文字のメッセージが現れるという《心象》は、この時期の作品には、ほかにもいくつか述べられています。たとえば、1921-22年ころ書かれた童話草稿『若い木霊』では:⇒4.14.2 『若い木霊』 7.8.14 『若い木霊』
. 『若い木霊』
「その窪地はふくふくした苔に覆はれ、所々やさしいかたくりの花が咲いてゐました。若い木だまにはそのうすむらさきの立派な花はふらふらうすぐろくひらめくだけではっきり見えませんでした。却ってそのつやつやした緑色の葉の上に次々せわしくあらわれては又消えて行く紫色のあやしい文字を読みました。
『はるだ、はるだ、はるの日がきた、』字は一つずつ生きて息をついて、消えてはあらはれ、あらはれては又消えました。
『そらでも、つちでも、くさのうえでもいちめんいちめん、ももいろの火がもえてゐる。』
若い木霊ははげしく鳴る胸を弾けさせまいと堅く堅く押へながら急いで又歩き出しました。」
『春と修羅・第2集』に属する1924年のスケッチにも:
「風の透明な楔形文字は
暗く巨きなくるみの枝に来て鳴らし
また鳥も来て軋ってゐますと」(#75「北上山地の春」1924.4.20.〔下書稿(一)〕)
と、「楔形文字」が現れています。これは、2週間ほど前の日付の別のスケッチを取り入れた部分で、もとのスケッチには、↓つぎのように書かれています:
「風が木に来てじつに無数の楔形文字に砕けると
鳶は一つのボートのやうに
かげらふの波に漂はされる」(#40「烏」1924.4.6.〔下書稿手入れ〕)
このように、それぞれのもとになった自然物の性状に応じて、「紫色のあやしい文字」「ギリシヤ文字」「楔形文字」というように、「文字」の種類も異なります。伝えられてくるメッセージも、おそらくそれに応じた内容なのではないかと思います。
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