ゆらぐ蜉蝣文字


第8章 風景とオルゴール
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8.13.2


. 8.1.8 【印刷用原稿】の編成替え
ところが、《第2段階》で“構想”に目覚めた作者は、それだけでは治まらず、ゲラ・校正の合間を縫って、【印刷用原稿】の手直しを続けたのです。とくに、「小岩井農場」「青森挽歌」「オホーツク挽歌」の3長篇は大幅な手直しを加えたので、前後のページ数の調整に苦労することになりました。これが《第3段階》@Aまでの経緯です。

インターネットのEブックなどとは違って、紙の本には、編集上いろいろの制約があります。まず、1ページの紙の大きさは決まっていますから、活字の大きさを変えない限り、行数・字数は一定に決まってしまいます。

『春と修羅』の場合、詩篇の頭をページに合わせずに、ずらずら続けてしまう体裁をとっていますから(それが、とても不体裁な印象を与えるのですが‥)その点は気にしなくてよいのですが、
その分、章の扉と、章本文の始まりの体裁は、きれいにしなければなりません。

そこで、章の扉は奇数n(見開いた本の左側)に置くという体裁は、変えられません。
扉の裏(次のn)を白紙にする体裁も、変えられません。そして、章の本文は、その次の奇数nの頭から始めなければなりません。

このような制約は、ある作品を修正するたびに、前後のほかの作品を縮めたり延ばしたりして(それができるのは、著者が詩の天才だったからで、ふつうは、こんな調整は不可能です!)なんとか辻褄を合わせているのですが、

「オホーツク挽歌」は、末尾6頁分を削るという大手術をしたので☆、この6頁分については、どうしてもこの場では調整がつかなくなってしまいました。。。

☆(注) 「オホーツク挽歌」のもとの原稿から8n分を削り、2n分を加えたので、差引き6n分があまったものです。この“大手術”は、「オホーツク挽歌」そのものを大幅に縮小したのかもしれないし、もとは「オホーツク挽歌」の次にあった作品を削ったのかもしれません(入沢康夫『宮沢賢治 プリオシン海岸からの報告』,pp.105,108-109)いずれにせよ、この“大手術”は、鈴木健司氏、秋枝美保氏らが主張する・『サガレンと八月』に相当する詩行──「ギリヤークの犬神」の悪夢──の削除に、関係している可能性があります。

そこで、作者は、巻末に「イーハトブの氷霧」「冬と銀河ステーシヨン」の2作品を加えて、この6頁分を填めることにしたのです。これが、《第3段階》Bです。

ところで、できあがった《初版本》を見ると、↑この2篇は、合計3n半しか占めていません(⇒:春と修羅・初版本)。これは、さらに《第4段階》の調整が続いたことによるのです。

《初版本》で【第6章】を見ますと、【60】「無声慟哭」と【61】「風林」の間に空白が続いています(⇒:春と修羅・初版本)。「無声慟哭」の最後のページは、小字の註が1行あるだけで、あとは空白、その次のページは完全に空白です。

栗原敦氏は、この空白が「章の途中としては唯一の‥白頁」であることに注目し、「心象スケッチ集」としての構想上の重要な区切りと見ています(栗原,op.cit.,p.119)。
しかし、入沢氏は、【印刷用原稿】に残されたノンブル(頁番号)や指示メモ、差替え痕の詳細な分析の結果、この空白は、印刷所が著者の指示を取り違えたために起こった錯誤の結果であるとしました(入沢,op.cit.,pp.110-112)。

ギトンは、↑この点が気になって、入沢氏の詳細な議論を何度も検証してみましたが、やはり入沢氏の推論に間違えは無いようです。この空白は意図されたものではなく、錯誤の結果だと考えざるを得ません★

★(注) なお、この錯誤は、一冊の本全体について、ゲラを刷って著者校正を行ない、校了後に本印刷にかかるという、ふつうの本の造り方ならば、起こりえないミスです。しかし、『春と修羅』《初版本》の場合には、印刷所に活字が足りなかったために、巻頭から始めて、一定部分を本印刷までやってしまい、それが終わったら、組版をばらして、次の部分の活字を組む、というやり方をしたらしいのです。また、そうしたやり方をしたために、再刷は不可能なので、二千部という、この種の本にしては異常に多い部数(たとえば、中原中也の処女詩集『山羊の歌』は二百部でした。)を造ることになり、売さばきに悩む結果となりました。

こうして、「無声慟哭」と「風林」の間で生じた1n分の不足(原稿に無い頁を設けたために、その後の頁付けが原稿とずれてしまい、巻末で1n分の原稿が印刷できなくなってしまう)は、自動的に、もう1n分の不足を生むことになります。
というのは、“章の扉は奇数nに設ける”という制約があるからです:

「1ページの狂いは、もう1ページの狂いを必然的に生むことになった。というのは、作者のつもりでは『無声慟哭』や『風林』を含む章は202ページで終り、次の203ページが次章の扉となるはずだったのが、1ページふえたために章の終りが203ページになり、扉は奇数ページでなければならないから、204ページを空白にする必要が生じたのである。」
(入沢,op.cit.,p.111)
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