ゆらぐ蜉蝣文字


第8章 風景とオルゴール
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8.1.8


《第1段階》 【印刷用原稿】の成立。この段階では全61篇+α
であった。

《第2段階》 @作品7篇の追加(蠕蟲舞手,青い槍の葉,報告,原体剣舞連,雲とはんのき,一本木野,鎔岩流),「自由画検定委員」(+α)の削除。A作品5〜7篇(「風の偏倚」など)で全部または一部の差し替え。

●【印刷用原稿】が印刷所に引き渡される。

《第3段階》 @「小岩井農場」の一部差し替え、とくに「パート9」は3行目以下全部差し替え。A「青森挽歌」「オホーツク挽歌」の一部差し替え。B「イーハトブの氷霧」「冬と銀河ステーション」を追加。Cこの時期か、これ以後(印刷中)に、【第1章】の一部差し替え(「コバルト山地」〜「春と修羅」,「風景」.「春光呪咀」を縮小か?)。

《第4段階》 @目次原稿の成立。A「イーハトブの氷霧」「冬と銀河ステーション」の差し替え(2頁分縮小)。B「原体剣舞連」の冒頭を増補し、「途上二篇」を削除。全69篇+「序」に確定。

●印刷・製本の完了。

★(注) 「+α」は、「自由画検定委員」の後に収録されていた(可能性がある)何篇かで、草稿は失われている。「序」が、いつ書かれたかは(入沢氏の「二十二箇月」説が崩れた現在では)不明であるが、秋枝説に従って内容から推測すると、「雲とはんのき」の追加(第2段階)よりは後になる。

上の作品追加・削除・差し替えの過程を見ますと、【第8章】に関しては、《第2段階》で、「自由画検定委員」(+α)が削除され、「雲とはんのき」「一本木野」「鎔岩流」が追加され、「風の偏倚」の一部が差し替えられました。《第3段階》で、「イーハトブの氷霧」「冬と銀河ステーション」が追加され、この2篇は、《第4段階》で、2頁分縮小されて差し替えられました。

たいへん複雑な過程ですが、このような大幅な改稿・差し替えは、『春と修羅』全体の構想内容の変更によるものと思われるのです。

 3 天沢退二郎

天沢退二郎氏は、恩田氏に続いて早い段階で、【第8章】についても独自の洞察(当時としては画期的な)を述べておられます◇

◇(注) 天沢退二郎「空間の変貌──『春と修羅』における「風景とオルゴール」詩群の展開」(1975年初出), in:『《宮澤賢治》論』,1976,筑摩書房,pp.273-286.

当時『校本宮澤賢治全集』は刊行途中であり、草稿の調査研究がまだ途上の段階で、《初版本》テキストをほぼ唯一の資料として述べられたものですから、その点には留意する必要があります:

「盛夏を北方への挽歌の旅に費して帰ってきた詩人の言葉は、いま秋冷のはじまりの中にふたたび、次なる作品の群をかたちづくり出したのである。」

【75】「不貪慾戒」には、

「つめたい風景のなか 暗い森のかげや
 ゆるやかな環状削剥の丘 赤い萱の穂のあひだを」

という詩行があり、【76】「雲とはんのき」には:

「またなかぞらには氷片の雲がうかび」

【78】「風景とオルゴール」には:

「つめたくされた銀製の薄明穹」

【79】「風の偏倚」には:

「氷片の雲/(それはつめたい虹をあげ)」

という表現がある。

「これらの詩行のなかに打ちあげられた『氷片の』『つめたい』といった語句が示すものは、云うまでもなく詩人の「心象」のつめたさである。しかもなお、それを『氷片の』あるいは『つめたい』とよぶのは、詩人における『熱さ』への記憶の残影であろう。〔…〕あの、とし子の病熱、ついにはとし子と『詩』とに死をもたらしたもののあからさまな症候としての高熱である。あれらの詩句のすえに挽歌のコーダをひとまず弾きおえて頁をひるがえした詩人は、気圏日本の青野原、陸中国にしみわたる初秋の冷気をあたかも悪夢からさめた肌に感じるごとくにひとつの異和感として受けとめながら、『つめたい』風景を記録しはじめる。」
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