ゆらぐ蜉蝣文字


第8章 風景とオルゴール
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8.12.2


. 春と修羅・初版本

01喪神のしろいかがみが
02薬師火口のいただきにかかり
03日かげになつた火山礫堆(れきたい)の中腹から
04畏るべくかなしむべき砕塊熔岩(ブロツクレーバ)の黒

「一本木野」前半の叙景部分の最後で、東岩手火山の険しく聳え立つけしきを描いていましたが↓、その描写が「鎔岩流」の冒頭に続いて来ているように思います。

. 春と修羅・初版本

15薬師岱赭のきびしくするどいもりあがり
16火口の雪は皺ごと刻み
17くらかけのびんかんな稜は
18青ぞらに星雲をあげる 
(一本木野)

「喪神の‥かがみ」は、もう何度も出てきているので、ずっと読んでくださってる方にはおなじみですが、薄雲にさえぎられた鈍く白い太陽、あるいは、一日の終りに白っぽく力を失ったような太陽です:

「喪神の
 鏡かなしく落ち行きて
 あかあか燃ゆる
 山すその野火。」
(歌稿B #264)

「つぶらなる白き夕日は喪神のかゞみのごとくかゝるなりけり」
(歌稿A #276)

まぁ‥いままでは、そういう語釈をするのに精一杯だったわけですが、こうして「喪神」という語の意味について確信ができてくると、

こんどは、‥じゃあどうしてこれらの詩歌では、“白い太陽”とか“白いお日さま”とか言わずに、「喪神の鏡」という表現が使われるのか?‥ということが気になってきます。宮沢賢治は、白い太陽を、つねに「喪神」と呼んでいるわけではないですから。。。

そうやって見ると、どうも、「喪神の鏡」という表現は、字づらの一般的な意味以上のものがありそうな気がするのです。
たとえば、山の風景との関係です。歌稿の264番は、富士の裾野に落ちる夕日を描いているようです。夕日そのものは「喪神」で、色を失ったような感じで、落ちたあとの“地底”からの照り返しが「あかあか」と燃えるようなんですね。

276番は、東京から東北本線で盛岡に帰る車窓のようですから、やはり秩父あたりの山の端に夕日が落ちるところでしょう。晴れていれば富士も見えているかもしれません。

そして、「鎔岩流」の冒頭↑では、岩手山に、傾いた午後の日がかかっているわけです。
ところで、高等農林時代には、↓こんな和歌もあります:

「しかみづらの山のよこちよにつくねんと白き日輪うかびかゝれり」
(歌稿A #308)

↑308番、じつは、これも《焼走り溶岩流》で詠んだものらしいのです☆

☆(注) 「でこぼこの溶岩流をのぼり来てかなしきことをうちいのるかな」(#304)、「岩手やま焼石原に鐘なりて片脚あげて立てるものあり」(#307)など、一連の岩手山行の和歌が続いています。

308番の歌風は、保阪の影響を受けているように思いますが(諧謔風など)、ともかく、ほとんど同じような“岩手山にかかる白い日”を詠みながら、「鎔岩流」とは、まるで表現が違うのです。。。

「喪神の鏡」には、“神秘”につながってゆく何かがあるような気がします。。。いまのところ、ギトンには、それ以上作者の《心象》に分け入ってゆくことは難しいのですが……

‥そういったことを考えていると、たとえば、《岩手山》の表現のしかたにも、賢治のそれぞれの時期の特質みたいなものが伺えます。
中学から高農にかけての短歌では、単に「岩手やま」「岩手のやま」と書いているものが多いように思います。↑上の308番の「しかみづらの山」という表現も、おもしろいというだけで、とくにどうということはありません。

この「しかみづらの山」と、「一本木野」の「薬師岱赭のきびしくするどいもりあがり/火口の雪は皺ごと刻み」とを、表現として比較して見れば、彼此の成熟度の径庭は眼を見張るばかりではないでしょうか?
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