ゆらぐ蜉蝣文字


第8章 風景とオルゴール
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8.11.4


そして、賢治における・このような《大地の発見》に、サハリンという“海の向こうの世界”を体験したことが、大きな寄与をなしていることは明らかだと思います。のちほど【87】「イーハトブの氷霧」で検討しますが、“イーハトブ”という呼び名自体、もともとはロシア語なのです。

ここで重要なのは、↓つぎのことです:

宮沢賢治における“ナショナル”なものは、『国柱会』の超“ナショナル”な狂信から距離を置いたときに、はじめて成立した。それは、“インターナショナル”な《大地》の発見に伴なって生じたのであると。

. 春と修羅・初版本

04電信ばしらはやさしく白い碍子をつらね
05ベーリング市までつづくとおもはれる
06すみわたる海蒼の天と
07きよめられるひとのねがひ
08からまつはふたたびわかやいで萠え
09幻聽の透明なひばり

そのようなパースペクティヴで読んでみると、7行目の「きよめられるひとのねがひ」も、単に性欲を昇華したのなんのというだけで理解することはできないでしょう☆

☆(注) この「一本木野」は、終結部分に、「わたくしは森やのはらのこひびと」という行があることから、作者の性欲処理に関連付けて読む論者が多いようです。しかし、ギトンはこの詩には、非常に薄い性や恋愛との関係しか感じとれません。「わたくしは‥こひびと」という自己表明とはうらはらに、ほかのスケッチと比べて、あまりにも淡白なものしか表白されていないと思うのです。そもそも、作者にとっての恋人が「森やのはら」ではなく人間であったことはあまりにも明らかであって(たとえば、「小岩井農場・パート5・6」の自然散策の真只中で表明される人恋しさを見よ)、この詩は、それを踏まえた上でなお、作者が《大地》に対してどんな思いを込めたのかを読み取るべきだと思うのです。

性欲が、「ひと」個人の「男らしい」欲望だとすれば、領土欲と異民族支配欲は、「ひと」の集合体である国家の「男らしい」欲望です。作者は、国家のどす黒い欲望を肯定してはいません。それは、若々しく「きよめられ」なければならない。。。

08からまつはふたたびわかやいで萠え
09幻聽の透明なひばり

カラマツは落葉樹ですから、この10月末の一本木野では、すでに黄葉した針葉が落ちて裸に近くなっているはずです。
しかし、作者は、その枯れ木が「ふたたびわかやいで萠え」る《心象》を見ているのです。

ヒバリが天高く舞い上がって囀るのは、繁殖期の春です。しかし、作者には今、ヒバリの囀る声が聴こえます。

. 春と修羅・初版本

10七時雨(ななしぐれ)の青い起伏は
11また心象のなかにも起伏し

《七時雨山(ななしぐれやま)》は、岩手山の北方25.6km、平坦な高原地帯の端に、なだらかな稜線を起伏させている双耳峰です:画像ファイル:七時雨山、ヴォルガ川

↑こちらのは、《七時雨》の近くからの写真でして、《一本木野》からだと、見渡す限りの平原の遥か彼方に小さく見えるはずです。
「青い起伏」と言っているのは、広い空の下に、大気の層を通して青く染まった起伏が、かろうじて見える状況だと思います。その・うすぼんやりしたなだらかな稜線は、作者の《心象》の中にも、やさしい静かなリズムを打ちます。

12ひとむらのやなぎ木立は
13ボルガのきしのそのやなぎ

「やなぎ」が生えていたり、「芦(よし)のあひだをがさがさ」歩いたり(31行目)、…
一本木野には、小さな水の流れや湿地があります。

「ボルガの岸のそのやなぎ」を思わせる「やなぎ木立」ということで、ロシアのヴォルガ川の岸辺↑を想像すれば十分なのかもしれませんが、「そのやなぎ」とは、なにか特定のヤナギの樹を指している言い方のようでもあります。。。
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