ゆらぐ蜉蝣文字


第8章 風景とオルゴール
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8.11.2


. 春と修羅・初版本

04電信ばしらはやさしく白い碍子をつらね
05ベーリング市までつづくとおもはれる
06すみわたる海蒼の天と

「ベーリング市」は、作者の想像上の架空都市でしょうけれども、‥調べてみましたら、驚いたことに当時じっさいに“Bering City”がアラスカに有ったのです!!☆:地図:ベーリング海峡 ベーリング市は実在した!!

☆(注) ベーリング海峡に面するアラスカの海岸に、「ベーリング」という人口200人ほどの港町が、1900年ころ実在しました:Bering: locality, at mouth of Bering Creek, on Port Clarence, 5 mi. SW of Teller, Seward Penin. High.; 65°12' N, 166°28' W; (map 111). Var. Bering City. Harbor town established about 1899 or 1900 to serve the placer mines along the Bluestone River. Brooks (1901, p. 68), USGS, noted that by fall of 1900 it had a population of 200 and as a harbor, "has some advantage over Teller, inasmuch as vessels can easily approach much nearer the shore and have more protec tions from easterly and northeasterly winds." Teller, however, dominated and drew most of the people from Bering (Collier and others, 1908, p. 270). [Geological Survey Professional Paper, v.567, United States Department of the Interior: Donald J. Orth, Dictionary of Alaska Place Names, p.126.] なお、「ベーリング市」が実在することは、天沢退二郎氏が早くから指摘しておられました。

いずれにせよ、北極圏の町には違いありません。

“Bering City”には、当時も現在も鉄道は通っていませんから、童話『氷河鼠の毛皮』に登場する「ベーリング鉄道」のほうは、純然たる架空です。

ところで、ここで注目したいのは、「やさしく白い碍子をつらね」た電柱列が、はるか地平線の彼方へ続いて行くという“無限遠の景観”です。

珍しいけしきではないと思うかもしれませんが‥、宮沢賢治の作品に“無限遠の景観”が現れたのは、おそらくここが初めてではないかと思います★

★(注) 「ベーリング市までつづく」電柱列の重要性については、つとに秋枝美保氏も指摘されていました:「詩人の前に開けた新しい道は、幻の都市『ベーリング市』まで続く「電信ばしら」の「白い碍子」で示されているが、そこには『鋼青壮麗のそらのむかふ』という高みに対する志向はなく、地続きの遥か彼方に視線の拡がりがある。垂直方向から水平方向へという視線の移動が明らかにあると言える。」(『宮沢賢治 北方への志向』,p.129.)

『春と修羅』前半の世界では、《天と地》の垂直構造は、いつも確乎とした秩序として在りましたけれども、水平方向へ無限に視線が延びて行くことは無かったと思うのです。たとえば、【9】「春と修羅」では:

. 春と修羅・初版本

03のばらのやぶや腐植の湿地
04いちめんのいちめんの諂曲模様
05(正午の管楽よりもしげく
06 琥珀のかけらがそそぐとき)
07いかりのにがさまた青さ
08四月の氣層のひかりの底を
09唾し はぎしりゆききする
10おれはひとりの修羅なのだ
11(風景はなみだにゆすれ)
12砕ける雲の眼路をかぎり
13 れいらうの天の海には
14  聖玻璃の風が行き交ひ

と、《天》は常に上方にあって、聖く清々しく晴朗であり、《地》は常に下方にあって、歪みと不潔と不快さに満ちていました。
しかし、まっすぐに水平に向けられた視線は、冠雪の山稜などの“聖なる存在”の聳立にぶつかり、そこから垂直上方へ向かってしまうのです:

15   ZYPRESSEN 春のいちれつ
16    くろぐろと光素エーテルを吸ひ
17     その暗い脚並からは
18      天山の雪の稜さへ[]ひかるのに
19      (かげらふの波と白い偏光)
20      まことのことばはうしなはれ
21     雲はちぎれてそらをとぶ
22    ああかがやきの四月の底を
23   はぎしり燃えてゆききする
24  おれはひとりの修羅なのだ
.
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