ゆらぐ蜉蝣文字


第8章 風景とオルゴール
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8.1.15


すでに、天沢氏のところで引用した「雲とはんのき」の部分ですが、再度関係部分を引用しますと:

. 春と修羅・初版本

「こんなにそらがくもつて來て
 山も大へん[尖]つて青くくらくなり
 豆畑だつてほんたうにかなしいのに
   〔…〕
 これら葬送行進曲の層雲の底
 鳥もわたらない清澄(せいたう)な空間を
 わたくしはたつたひとり
 つぎからつぎと冷たいあやしい幻想を抱きながら
 一挺のかなづちを持つて
 南の方へ石灰岩のいい層を
 さがしに行かなければなりません」
(雲とはんのき)

「ここでは、風景は暗く悲しく、『幻惑の天』のもと、『葬送行進曲』が流れている。これらの心象は、古い世界観の崩壊を示していると考えて良い。このスケッチを境にして、集の後に出てくるスケッチには〔…〕崩れ去った世界の前で、新しい世界の核を拾い集める切実な行為が見られる。その中に『南の方』の『石灰岩のいい層』というのも含まれている筈である。〔…〕岩手の地を新たな眼で捉え始める行為がその先にイメージされているのかもしれない。」
(秋枝,op.cit.,pp.326-327)


 

【86】「鎔岩流」には:

. 春と修羅・初版本

「北上山地はほのかな幾層の青い縞をつくる
   (あれがぼくのしやつだ
    青いリンネルの農民シヤツだ)」

という一節があり、【83】「過去情炎」には:

. 春と修羅・初版本

「きらびやかな雨あがりの中にはたらけば
 わたくしは移住の清教徒(ピユリタン)です」

とあります。

「新世界での自己イメージは『農民』に重ねられていると言える。」
(秋枝,a.a.O.)
.
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