ゆらぐ蜉蝣文字


第8章 風景とオルゴール
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8.6.8


この「鶏」もまた、生命のメタファーではないでしょうか?‥「宗教風の恋」で引用した文語詩「対酌」に:

「ああなんぞ  南の鳥を
 ここにして  悲しましむる」

とあったのが思い出されます:8.3.3 文語詩「対酌」

“鳥かご”がカラになったことは、嘉内とのつながりを失なったことを想起させているかもしれません。あるいは、“鳥”は《異界》との間を往き来する“使者”だという・作品「春と修羅」に現れていた古い俗信を考えれば、《異界》との交通手段を失なったことを意味するかもしれません。じっさい、【第8章】に入ってから、ここまでの間は、《異界視》は鳴りをひそめているように思われます。

ところで、かつて賢治が保阪に宛てて書いた手紙に、↓つぎのようなものがありました:

「さりながら、(保坂さんの前でだけ人の悪口を云ふのを許して下さい。)酒をのみ、常に絶えず犠牲を求め、魚鳥が心尽しの犠牲のお膳の前に不平に、これを命とも思はずまずいのどうのと云ふ人たちを食はれるものが見てゐたら何と云ふでせうか。〔…〕

 私は前にさかなだったことがあって食はれたにちがひありません。

    〔…〕

 母とその子とが宿屋を営みました。立派な人があるとききて泊りました。母はびっくりして自分らの見たことのないものをも町からもとめさせ、一生懸命に之を料理し、自分では罰もあたる程の思ひの御馳走をつくりました。御客様は物足りなさうに膳を終へ、『この辺でがあるなら煮て出して呉れ。』と申しました。また次の日は『こんなに虐待されて茶代が置けるものか。』などとつれの人とはなしたとします。宿屋の子はそれを聞いて泣きたいのでせう。この感を大きくすると食はれる魚鳥の心持が感ぜられます。」

(1918年5月19日保阪嘉内宛て [63])

↑この書簡は、読む人ごとに、さまざまなことが考えられると思います。仏教の輪廻の思想、如来蔵、生命の尊さ、‥等々。しかし、ギトンは、まずとにかく、「本体論」wをいっさい捨象して、書かれているまま、言葉のままに一回読んでみるべきだと思うのです。

なぜなら、賢治は、宗教者でも‘聖人’でも日蓮宗の布教師でもなく、ひとりの何でもない青年として、思いつくまま、筆の動くままにこれを書いているのだと思うからです。

「魚鳥が心尽しの犠牲のお膳」という言い方が特別です。料理は、食べられる魚や鳥が自己犠牲として供してくるものなのです、賢治の考えでは。おそらく彼は、ジャータカ(仏典の譬え話)の自己犠牲説話(旅の法師のために、食べ物を見つけられなかったお供の兎が、自ら焚火に跳び込んで焼肉になる話など)を、そのように理解していたのです。

書簡では、宿屋の接待の話の中に「鶏」が出てきます。
つまり、宿屋と「鶏」に対応するのは、都会から来た「立派な」「御客様」、「酒をのみ、常に絶えず犠牲を求め、‥これを命とも思は」ない人々です。

これは、「昴」のすぐ次の詩句につながります:

. 春と修羅・初版本

17そのまつ青な夜のそば畑のうつくしさ
18電燈に照らされたそばの畑を見たことがありますか
19市民諸君よ

じっさい、耕地いっぱいに咲いたソバの花は、美しいものです:画像ファイル:そば畑

この「電燈」は、いま沿線のソバ畑を通り過ぎて行く電車のあかりでしょう。夜、電灯の光で照らされるとどんなになるのか分かりませんが、ソバの花の薄紫色が闇にぼおっと浮かんだ幻想的なけしきではないかと思います。

これは、都会人の知らない──ギトンも知らないのですから‥──田園の美しさなのだと思います。
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