ゆらぐ蜉蝣文字


第8章 風景とオルゴール
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8.3.3


↓こちらは、賢治が晩年に書いた「対酌」という文語詩ですが、嘉内との大沢温泉での思い出を綴っています。

. 文語詩「対酌」

01嘆きあひ   酌みかうひまに
02灯はとぼり  雑木は昏れて
03滝やまた   稜立つ巌や
04雪あめの   ひたに降りきぬ

05「ただかしこ 淀むそらのみ
06かくてわが  ふるさとにこそ」
07そのひとり  かこちて哭けば
08狸とも    眼はよぼみぬ

09「すだけるは 孔雀ならずや
10ああなんぞ  南の鳥を
11ここにして  悲しましむる」
12酒ふくみ   ひとりも泣きぬ

13いくたびか  鷹はすだきて
14手拭は    雫をおとし
15玻璃の戸の  山なみをたゞ
16三月の    みぞれは翔けぬ

「三月の」雑木林に囲まれた渓谷の宿で、日は暮れかかり、みぞれが降り続いています。とがった岩場にかかる滝の音が聞こえます。

14行目の、濡れた手ぬぐいがかけてあるようすや、15行目の「玻璃の戸」──へやのガラス戸が、温泉旅館の客室で二人で酒を酌み交わしているさまを表します。

5-6行目の「ただかしこ 淀むそらのみ/かくてわが ふるさとにこそ」は、嘉内が、厚い雲に閉ざされた山梨の方角を望んで、故郷にしか自分の居場所は無いと嘆いているようす。

「宗教風の恋」の2行目:

. 春と修羅・初版本

02西ならあんな暗い立派な霧でいつぱい

は、この「対酌」5-6行目の「淀むそら」に呼応していないでしょうか?(作品化されたのは、「対酌」のほうが後ですが。)

↑この2行目で、賢治は、大沢温泉での5年前の交情を透して、いま(1923年9月)は山梨と東京でがんばっている保阪に、思いを馳せているのだと思うのです。
「西」は、暗いけれども「立派な霧でいつぱい」だと言っているのは、この5年間に“どん底”から起き上がった保阪の努力を讃えているようにも思われます。

「対酌」の先を読んでおきますと‥、

08狸とも    眼[まなこ]はよぼみぬ

は、悲嘆にくれて泣いている相手に対して、まるで嘲るような言い方ですが、二人の親しい関係を考えれば、それも理解できます。

09「すだけるは 孔雀ならずや

「すだく」とは、虫や鳥がたくさん集まること、またたくさん集まって騒がしく鳴くこと。

盛岡高等農林学校は、当時としては農林エリートの養成機関でしたから、ほかの卒業生は官庁や研究機関への就職も決まって、それこそ孔雀が羽根を広げて群れ集うようにして巣立って行くのと比べ(13行目で、鷹のすだく音が何度か聞こえたと書いているのも、同じ意味でしょう)、

退学となった嘉内は、故郷での暗澹たる生活あるのみ、賢治にしても将来は五里霧中なのでした。

10ああなんぞ  南の鳥を
11ここにして  悲しましむる」

これから東京・山梨へ帰って行く嘉内を、渡り鳥に喩えて、「南の鳥」と呼んでいます。
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