ゆらぐ蜉蝣文字


第7章 オホーツク挽歌
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7.6.33


. 春と修羅・初版本

100いまするどい羽をした三羽の鳥が飛んでくる
101あんなにかなしく啼きだした
102なにかしらせをもつてきたのか

この「三羽の鳥」について、鈴木健司氏は、『サガレンと八月』で「ギリヤークの犬神」を乗せた3頭の白い犬に対応するものだと述べておられます(op.cit.,p.198)。たしかに卓見だと思います。《異界》の使者である“鳥”は、北方民族の神話においては“犬”だからです。

しかし、他方で、この「三羽の鳥」は、『インドラの網』に登場する「三人の天の子供ら」──モチーフを遡れば、ミーラン壁画の3体の天子像に対応すると思います:⇒3.8.7

「ふと私は私の前に三人の天の子供らを見ました。それはみな霜を織ったやうな羅(うすもの)をつけすきとほる沓(くつ)をはき私の前の水際(みずぎわ)に立ってしきりに東の空をのぞみ太陽の昇るのを待ってゐるやうでした。その東の空はもう白く燃えてゐました。

 私は天の子供らのひだのつけやうからそのガンダーラ系統なのを知りました。またそのたしかに于闐(コウタン)大寺の廃趾から発掘された壁画の中の三人なことを知りました。私はしずかにそっちへ進み愕(おどろ)かさないやうにごく声低く挨拶しました。」

「三羽の鳥」が「するどい羽をし」ている理由も、『インドラの網』を見れば理解できます:

「『お早う、于闐大寺の壁画の中の子供さんたち。』

 三人一諸にこっちを向きました。その瓔珞のかゞやきと黒い厳[いか]めしい瞳。

 私は進みながらまた云ひました。
『お早う。于闐大寺の壁画の中の子供さんたち。』

『お前は誰だい。』
 右はじの子供がまっすぐに瞬[またたき]もなく私を見て訊ねました。」

「三羽の鳥」の「するどい羽」は、「三人の天の子供ら」の「黒い厳めしい瞳」や「瞬もなく」見返す目に対応しています。それらは、必ずしも作者──『インドラの網』の「私」──を咎めているのではなく、ミーランの壁画に描かれた西欧的な顔立ちの天使の目なのです。それは、賢治にとっては、遠くキリスト教信仰のエートスを伝えるものだったと思います。

101行目の「あんなにかなしく啼きだした」で、作者の意識はやや後退して情緒的に流れようとしますが(作品「白い鳥」参照)、

つづく詩行を見れば、完全に情緒の中に後退してしまうことはありません。作者の思索は、“十字架”の啓示の意味に向かって、さらに突き進んでゆくのだと思います。
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