ゆらぐ蜉蝣文字


第3章 小岩井農場
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3.8.7


さて、〔みあげた〕断片を検討しましたが、
本題は、幻の「小岩井農場・パート8」の手がかりを探すことです。

すでに述べたように、「パート4」では、陽炎の光と戯れる子どもたちの姿が、跳ね上がって天に昇って行くかのように躍動的に描かれていましたが、

〔みあげた〕では、せわしなく揺れる陽炎の中で、「天の子供ら」の魂が「小さな光の渦」となって下りて来るイメージが語られていました。
空からひっきりなしに落ちて来る印象です。

つまり、“光の子どもら”と「天の子供ら」という・ほぼ同じモチーフを扱いながら、「パート4」と〔みあげた〕とでは、垂直軸の上下の向きが逆なのです。

「〔みあげた〕」の原稿成立は、『小岩井農場』【下書稿】と同じ用紙に清書されていますから、ほぼ同じころと考えてよさそうです。
「〔みあげた〕」は、散文として扱われていますが、改行や繰り返しが多く、詩の創作メモをそのまま写して書いたような感じがしないでもありません。独白的な調子にも、作者の最初の発想の生々しさが残っているような感じがします:

. 〔みあげた〕

「おゝ天の子供らよ。私の壁の子供らよ。
 出て来い。
 壁はとうにとうにくづれた。砂はちらばった。そしてお前らはそれからどこに行ったのだ。いまどこに居るのだ。」

したがって、「パート8」になるはずだったスケッチメモなどの一部をもとにして書いているかもしれません。

たしかに、「壁はとうにとうにくづれた」などは、農場の風景とは違います。むしろ、──スタインによって告発された“ミーラン壁画の破壊”から発想したような内容です。。。:

「〔…〕けれどもおれはあの壁のあの子供らに天から魂の下ったことを疑はなかった。私の壁の子供らよ。出て来い。おゝ天の子供らよ。
   〔…〕
 そして空から小さな小さな光の渦が雨よりしげく降って来る。
   〔…〕
 壁はとうにとうにくづれた。砂はちらばった。そしてお前らはそれからどこに行ったのだ。いまどこに居るのだ。」

大谷隊員による破壊の事実を前提とすれば、
ミーランの《有翼天使》壁画に、天から下った魂が入り、生きた「天の子供ら」となったが、壁が破壊されたために外へ飛び出さざるを得なくなり、どこかへ行ってしまった‥という内容ではないでしょうか?







さて、
「〔みあげた〕断片」から発展して行った作品として、『インドラの網』と『雁の童子』が考えられます。

これらは、以前からよく、‘ミーランの有翼天使像’の影響があると、指摘されている作品ですが、とくに、
『インドラの網』の後半部分は、「私」が、ミーランの壁から魂を得て出て来た3人の子供たちを探して出会う物語として読んでも、おかしくありません:

. インドラの網

「ふと私は私の前に三人の天の子供らを見ました。それはみな霜を織ったやうな羅(うすもの)をつけすきとほる沓(くつ)をはき私の前の水際(みずぎわ)に立ってしきりに東の空をのぞみ太陽の昇るのを待ってゐるやうでした。その東の空はもう白く燃えてゐました。

 私は天の子供らのひだのつけやうからそのガンダーラ系統なのを知りました。またそのたしかに于闐(コウタン)大寺の廃趾から発掘された壁画の中の三人なことを知りました。私はしずかにそっちへ進み愕(おどろ)かさないやうにごく声低く挨拶しました。」

「霜を織ったやうな羅(うすもの)をつけすきとほる沓(くつ)をはき」という「天の子供ら」の服装が、〔みあげた〕の

「おれは今日は霜の羅を織る。〔…〕ガラスの沓をやるぞ。」

と一致しています。

「于闐(コウタン)大寺の廃趾から発掘された壁画の中の三人」

と言っていますが、「于闐」(ホータン, Khotan)は、ミーランより西方のタリム盆地南部にあるオアシス都市で“ホータン王国”がありました:地図:ホータン 西域地図

創作童話にするために、ミーランをホータンに変えたのでしょう。

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