ゆらぐ蜉蝣文字


第7章 オホーツク挽歌
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7.6.32


. 春と修羅・初版本

93海がこんなに青いのに
94わたくしがまだとし子のことを考へてゐると
95なぜおまへはそんなにひとりばかりの妹を
96悼んでゐるかと遠いひとびとの表情が言ひ
97またわたくしのなかでいふ
98 (Casual observer! Superficial traveler!)

作者の中には、死者に思考を集中させることに抵抗する気持ちさえ起こり始めています。

98行目は、「偶然の立会人!うわっつらの旅行者!」などの翻訳が考えられます。

重大な手がかりの残った場所に、まるで他人ごとのように“立ち会”っていることしかできない“うわっつらの旅行者”だと、自分を評しています。目前にある象徴の意味に向かって、思うように思考が進んで行かないもどかしさを述べているのです。

“十字架”を見た時には、たしかに受けたインスピレーション(啓示)の意味は、「砂にうづもれ」た貝のように、隠されたままです。

099空があんまり光ればかへつてがらんと暗くみえ
100いまするどい羽をした三羽の鳥が飛んでくる
101あんなにかなしく啼きだした
102なにかしらせをもつてきたのか

そらが眩しいほど光っていると、かえって風景全体は暗く見える。この《心象》を、賢治はしばしば述べています。たとえば、第2章の「真空溶媒」では:

. 春と修羅・初版本

179ひかりはすこしもとまらない
180だからあんなにまつくらだ

と書いていました。

しかし、より注目すべきは、こうして「まっくら」になった空のその後の変化です:

181太陽がくらくらまはつてゐるにもかはらず
182おれは数しれぬほしのまたたきを見る
183ことにもしろいマヂエラン星雲
184草はみな葉緑素を恢復し
185葡萄糖を含む月光液は
186もうよろこびの脈さへうつ

↑これに対応する場面は、『銀河鉄道の夜』にもあって、
“銀河の旅”の最後で、ジョバンニが、「ほんたうの幸福をさがすぞ」と決意を述べる場面です:⇒2.1.22

「そのときまっくらな地平線の向ふから青じろいのろしがまるでひるまのやうにうちあげられ汽車の中はすっかり明るくなりました。そしてのろしは高くそらにかゝって光りつゞけました。
 『あゝ マジェランの星雲だ。さあもうきっと僕は僕のために、僕のお母さんのために、カムパネルラのためにみんなのためにほんたうのほんたうの幸福をさがすぞ。』
 ジョバンニは唇を噛んでそのマジェランの星雲をのぞんで立ちました。」
(初期形一)

つまり、この“光が強すぎるために、かえって真っ暗になった空”は、かならずしも暗黒の闇、暗い《心象》ではないのです。

ギトンは、この「がらんと暗くみえ」る空は、宇宙空間の《心象》だと思います。
つまり、作者の意識は、いまようやく《異界》にとどき始めたのです。

つづいて現れる「三羽の鳥」は、言うまでもなく《異界》との間を往き来する動物です:

100いまするどい羽をした三羽の鳥が飛んでくる
101あんなにかなしく啼きだした
102なにかしらせをもつてきたのか
.
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