ゆらぐ蜉蝣文字


第5章 東岩手火山
49ページ/73ページ


5.4.7


また、『春と修羅・第2集』の「丘陵地」(1924.3.24. #17)では、賢治が、人首町近くの実家に帰る寄宿生を送って、二人で五輪峠越えの山旅をした際、沿道の部落の犬が、二人に激しく吠えかけます:

「  〔…〕
 きみはストウブのやうに赤くなってるねえ
  ……水がごろごろ鳴ってゐる……
 おや 犬が吠え出したぞ
   〔…〕
 ははあ きみは日本犬ですね
   〔…〕
 どうしてぼくはこの犬を
 こんなにばかにするのだらう
 やっぱりしやうが合はないのだな」
(「丘陵地【雑誌発表形】」)

また、“恋人同士”以外でも、たとえば、‘邪宗門のヤソ教徒’斎藤宗二郎と、旧家・宮澤家の跡取り息子が「ならんである」けば、世間のゴシップを招いたかもしれません。

当時の田舎町では、世間の指弾を浴びる組み合わせは、いくらでもあったはずです。

. 春と修羅・初版本

21帽子があんまり大きくて
22おまけに下を向いてあるいてきたので
23吠え出したのだ

作者が、現実の自分の姿を詩行の中に書き込んだのは、この【初版本】の初め以来、ここが最初ではないかと思います。

《見者》として《心象》を《スケッチ》する者である作者が、《見者》であることを保ったまま、
現実の人間界で《他者》からも見える自分の姿を、鏡に写すように明確に認識し、受け入れています。

私たちは──(この解説本を読んでいると、テキスト以外のソースから、作者の人間像を予め知ってしまうのですが)──、いまここで、「東岩手火山」で薄明の外輪山に立っていた時よりもはっきりと、作者そのひとの姿を、テキストそのものから知ることができます。

それはまさに、“舞台から降り立った”見者そのひとの姿なのでした。


【56】へ
第5章の目次へ戻る




.
次へ
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ