ゆらぐ蜉蝣文字
□第5章 東岩手火山
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5.4.7
また、『春と修羅・第2集』の「丘陵地」(1924.3.24. #17)では、賢治が、人首町近くの実家に帰る寄宿生を送って、二人で五輪峠越えの山旅をした際、沿道の部落の犬が、二人に激しく吠えかけます:
「 〔…〕
きみはストウブのやうに赤くなってるねえ
……水がごろごろ鳴ってゐる……
おや 犬が吠え出したぞ
〔…〕
ははあ きみは日本犬ですね
〔…〕
どうしてぼくはこの犬を
こんなにばかにするのだらう
やっぱりしやうが合はないのだな」(「丘陵地【雑誌発表形】」)
また、“恋人同士”以外でも、たとえば、‘邪宗門のヤソ教徒’斎藤宗二郎と、旧家・宮澤家の跡取り息子が「ならんである」けば、世間のゴシップを招いたかもしれません。
当時の田舎町では、世間の指弾を浴びる組み合わせは、いくらでもあったはずです。
. 春と修羅・初版本
21帽子があんまり大きくて
22おまけに下を向いてあるいてきたので
23吠え出したのだ
作者が、現実の自分の姿を詩行の中に書き込んだのは、この【初版本】の初め以来、ここが最初ではないかと思います。
《見者》として《心象》を《スケッチ》する者である作者が、《見者》であることを保ったまま、
現実の人間界で《他者》からも見える自分の姿を、鏡に写すように明確に認識し、受け入れています。
私たちは──(この解説本を読んでいると、テキスト以外のソースから、作者の人間像を予め知ってしまうのですが)──、いまここで、「東岩手火山」で薄明の外輪山に立っていた時よりもはっきりと、作者そのひとの姿を、テキストそのものから知ることができます。
それはまさに、“舞台から降り立った”見者そのひとの姿なのでした。
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