ゆらぐ蜉蝣文字


第5章 東岩手火山
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5.3.32


そして、たしかに「東岩手火山」の中には、《異世界》の香りを漂わせながら、現実意識や科学との調和を保ってゆく表現も見られます。
たとえば、気象の“逆転層”について、生徒たちに次のように説明している部分です:

. 春と修羅・初版本

55《じつさいこんなことは稀なのです
56わたくしはもう十何べんも來てゐますが
57こんなにしづかで
58そして暖かなことはなかつたのです
   〔…〕
62今夜のやうなしづかな晩は
63つめたい空氣は下へ沈んで
64霜さへ降らせ
65暖い空氣は
66上に浮んで來るのです
67これが氣温の逆轉です》

 


「つめたい空氣は下へ沈んで‥暖い空氣は/上に浮んで來るのです/これが氣温の逆轉です」が、気象学的に正確な説明なのかどうか、ギトンには分かりません。

しかし、ここにはメルヘンのようにやさしい空の息吹き、いわば“天使の翼”が感じられないでしょうか?‥そして、科学の枠内で私たちを妙に納得させる言葉ではないでしょうか?

こうして作者は、《見者》として社会の中で生きる路を確立して行こうとするのですが、
その作者の行く手には、“妹の病死”という予期しないアクシデントが待ち構えていました。
トシ子の病死という事件のために、作者は、大きな曲折を──迂回を強いられることになったと、ギトンは考えます☆

☆(注) 一般には、この点は、いわば‘ひっくり返し’に考えられているようです。“トシ子の死”を契機として、亡き妹への追想の中で、宮沢賢治文学は完成に向かうのだと。

そこで、「東岩手火山」のあとは、ただちに「永訣の朝」以下の「無声慟哭」章(第6章)にすすむのが捷径のようにも思われるかもしれません。

しかし、【初版本】の「東岩手火山」最終nには、頁のはじの欄外のような場所に:

(犬、マサニエロ等) 

と、小さな字で印刷されています:春と修羅・初版本

これは、《印刷用原稿》にあった作者のメモを、印刷所が誤って印刷してしまったのかもしれません。

しかし、このメモは重要な意味を持っていると思います:

「無声慟哭」章に入る前に、まだ、「犬」「マサニエロ」「栗鼠と色鉛筆」という3つの作品がある、これらも無視してはならない‥‥なぜなら、こちらのほうが、むしろ作者が本来目指していた方向なのだから。。


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