ゆらぐ蜉蝣文字


第4章 グランド電柱
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4.13.5


. 春と修羅・初版本

04槻(つき)と杉とがいつしよに生えていつしよに育ち
05たうたう幹がくつついて
06險しい天光に立つといふだけです
07鳥も棲んではゐますけれど

「槻(つき)」は、古語でケヤキのことです。

「險しい天光に立つ」は、賢治と嘉内に引き寄せて読むと、二人で理想を抱いて生きてゆくことを厳しく阻む“天”の意志──抗いがたい運命のようなものを感じさせます。

ところで、
このように、種類の違う木の幹と幹が、接着し合って、支えあうように生えている例は、自然林では時々見かけます。

完全にくっついているように見えますが、近づいて観察すると樹皮の境目があって、植物体が繋がっているわけではありません。

そうした例で、ギトンが印象深く思ったのは‥、
北海道のブナの北限よりもさらに30kmほど北の、標高1000m近い場所で、ブナの若木がトドマツの若木と、らせん状に・もつれ合って成長している姿を見たことがあります。

ふつうは、種類の違う木が接近して生えると、互いに邪魔しあって、うまく生長できないはずなのです。しかし、この例のように、単独では生長できないような厳しい環境でも、ほかの種類の樹木を支えにして適応できる場合があるのだと思いました。

人間どうしが互いに支え合って生きるのは、理想ではあっても、なかなか難しい場合があります。性格や志向の違う者どうしであれば、なおさらです。

自然界で、種類の違う者どうしが互いに支え合う・みごとな実例に出くわした時の感動は、忘れられないほど大きいのです‥

「鳥も棲んではゐますけれど」──は、どういう意味でしょうか?

‥鳥は、「いっぽんすぎ」の存在を利用する関係にあります。
じっさいには、鳥の糞が樹木の肥料になる、といった互恵の関係があるのでしょうけれども、
作者の言い方は、鳥が一方的に利用している面を、もっぱら見ているようです。

たしかに、鳥の巣があれば寂しくないでしょう。しかし、二本の樹木が生長してゆく上で、鳥には頼れないのです。
結局は、他人ではなく互いの存在だけが頼りなのです。作者は、そういうことを言いたいのだと思います。

「立つといふだけです」という言い方がまた、じんと沁みわたる気がします‥。めずらしいことではない‥どこにでもあることだ‥。そうした衒(てら)わない気持ちが大切なのかもしれません。


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