ゆらぐ蜉蝣文字


第4章 グランド電柱
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【46】 原体剣舞連




4.14.1


「はらたい・けんばい・れん」と読みます。

「原体剣舞連」は、1922年8月31日(木曜日)付です:

    
伊藤卓美氏版画     

. 春と修羅・初版本
  dah-dah-dah-dah-dah-sko-dah-dah
こんや異装のげん月のした
鷄(とり)の黒尾を頭巾にかざり
片刄(かたは)の太刀をひらめかす
原體(はらたい)村の舞手(おどりこ)たちよ
鴇(とき)いろのはるの樹液を
アルペン農の辛酸に投げ
生(せい)しののめの草いろの火を
高原の風とひかりにさヽげ
菩提樹皮(まだかは)と繩とをまとふ
氣圏の戰士わが朋(とも)たちよ
   〔…〕

はじめて読むかたは、

(1) この詩は、「剣舞(けんばい)」という・鹿(しし)踊りとならぶ郷土芸能をスケッチしたもので、

(2) dah-dah-dah-dah-dah-sko-dah-dah(ダーダーダーダー ダースコダーダー)は、剣舞(けんばい)の囃子の音を表した擬音、

(3) 作者は「原体(はらたい)」村で、初秋の夜に催されるこの踊りを見たのだ

ということだけ、とりあえず頭に入れといていただきたいと思います。

この詩は、“宮沢賢治詩集”のたぐいには必ず載っていますし、朗読会の演目にもよく選ばれているようで、賢治の詩の中では、比較的よく知られたものだと思います。

内容の水準から言っても、中原中也が“宮澤賢治論”の中で、これを引用して論じている箇所があるくらいですから、すぐれたものだと思うのですが、

なぜか、あまり読まれていないような気がするのです‥

いま、ネットで「原体剣舞連」を画像検索にかけてみると、
たしかにイラストはたくさん出てくるのですが、
“剣舞(けんばい)”の踊り手を描いたリアルなものだけ──それも、特定の姿勢のパターンばかりで‥、

ほかの有名な作品のように、描く人の思いを込めたいろいろな絵が出てくる‥ということがないのです‥
この伊藤卓美さんの版画のように、面をはずして顔を見せたものさえ、珍しい状態です。。。

つまり、有名なわりには、あまり読み込まれていないのではないか?‥
読者それぞれのイメージを持つところまで行っていないのではないか?‥と思うのです。

ギトン自身、この詩は、最初のころに、ひじょうに“とっつき”が悪かった覚えがあります。。。
難しい内容が書いてあるわけではないのに‥なんというか、いまいち“わからない”のです。

“頭に入らない”と言ったほうがよいでしょうか‥どこが面白いんだか解らない、という感じでした。

賢治のほかの作品を読み込んだあとでは、これは非常にすなおで、分かりやすい、内容的にもおもしろい作品に思えるのですが‥

じっさい、むずかしい内容は、ほとんど含まれていないのです。第1章の「春と修羅」「陽ざしとかれくさ」、また、前作の「電車」などのように、いったい何を言いたいんだか解らない“わけの分からなさ”は、この詩には、ありません。

それなのに、“とっつきにくい”のは、なぜなのでしょうか。。。

ともかく、そういうわけで、はじめての読者にとっては、すんなり受け入れられる作品ではないかもしれませんので、
以下では少し腰をすえて、きちんと説明して行きたいと思います。
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