ゆらぐ蜉蝣文字


第4章 グランド電柱
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4.11.4


そうすると:

「印象」━━━━《馬トロ》
「高級の霧」━━白樺〜《耕耘部倉庫》
「岩手山」━━━丘陵地、真昼
「高原」━━━━丘陵地、真昼
「風景観察官」━《育牛部》、夕方

↑このような順序になります。

並べ替えてみると、内容的にも一貫した流れが見えてきます!!:

「印象」:「紳士」、つまり《馬トロ》の馭手は、前途に不安を感じさせる病的な印象を帯びています。理由は解りませんが、農場に赴く作者の気後れが感じられます。

「高級の霧」:作者は《耕耘部》まで進みますが、「なにもかも/光りすぎてまぶしくて‥」と、作者の懸念はピークに達しているようです。

「岩手山」:農場奥の丘の上に立つ。輝く空の下で、陥り暗む山の姿が、作者の愁いと惑いの感情を映します。

「高原」:丘の近くで子供たちに出会い、一転して快活になります。身体の中から迸り出るような原初の感情に突き動かされています。

「風景観察官」:《育牛部》まで戻ってきた作者は、夕刻の風景の中で見かけた牧牛の農夫に、心からの畏敬の念を送ります。

このようになります。

もし、作者にもっと時間的余裕があったならば、これらの詩篇をまとめて、「小岩井農場・パート十」が書かれていたかもしれません‥☆

☆(注) なお、『春と修羅(初版本)』巻末の「目次」には、「高級の霧」のあとに、「途上二篇」というタイトルの記載があります。これは、目次にあるだけで、本文には収録されていません。下書きも残っていません。「途上二篇」という題名の作品だったのか、それとも、“まだ2篇が推敲途上にある”という注記が印刷されてしまったのかも、不明です。いずれにせよ、「途上二篇」も同じ6月27日付ですから、やはり小岩井農場でのスケッチの一部だったはずです。

最後に、「風景観察官」で、作者の結論を、もう一度確認しておきたいと思います:

. 春と修羅・初版本

14何といふいい精神だらう
15たとへそれが羊羹いろでぼろぼろで
16あるひはすこし暑くもあらうが
17あんなまじめな直立や
18風景のなかの敬虔な人間を
19わたくしはいままで見たことがない

5月には「小岩井農場」で、進歩した西欧式集団農業への賛辞を惜しまなかった作者でしたが、そこで働いている農夫たちに対しては、礼儀正しく接しても、つねに思うような反応が返って来るわけではありませんでした。

しかし、いま落ち着いた初夏の夕景色の中で、牛の群れを厩舎へと導いている農夫のシルエットを見たとき、その粗末な上着をまとった姿は、作者には、議事堂や株式取引所に会する紳士たちにもまして立派なものに思われたのです。

それは、ちょうどミレーの絵画のように、自然の季節と時間の移りゆきに溶け込み、敬虔に無心に生きている農民の姿だったのではないでしょうか。


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