ゆらぐ蜉蝣文字


第4章 グランド電柱
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《Ne》 波うつ胸は汗にぬれ



【44】 電 車




4.12.1


「電車」は、8月17日(木曜日)付。前のスケッチから約2ヶ月ぶりです:

. 春と修羅・初版本
「電車」は、一見して解りにくい詩です。

真中の6行は1字下げ。前後に各1行分の空白があります。この中間6行は、前後の本文とは、区別してよいのでしょう。

そこで、中間を除いて、前と後をつなげてみますと‥いくらか分かりやすくなりました:

01トンネルヘはいるのでつけた電燈ぢやないのです
02車掌がほんのおもしろまぎれにつけたのです
03こんな豆ばたけの風のなかで

10おい、きさま
11日本の萓の野原をゆくビクトルカランザの配下
12帽子が風にとられるぞ
13こんどは青い稗(ひえ)を行く貧弱カランザの末輩
14きさまの馬はもう汗でぬれてゐる

まず、このスケッチの場所ですが、「電車」という題名が、明確に場所を特定しているのです!

よく考えてくださいw 宮澤賢治の時代には、国鉄の機関車はみな蒸気機関車でした。つまり、東北本線も、橋場線(田沢湖線)も、また釜石方面への岩手軽便鉄道(釜石線)も、みな汽車であって、電車ではなかったのです。

このあたりで「電車」といえば、《花巻電気軌道》という一種の路面電車があるだけでした。しかも、1922年当時開通していた電車軌道は、花巻〜松倉間のみで、松倉〜志戸平温泉間は馬車軌道でした:画像ファイル:花巻電鉄 画像ファイル:鉛街道・松倉付近

写真を見ると、びっくりします↑↑。おそろしくスリムな電車なんですね。しかも1922年当時走っていたのは、木造車体のみでした。

スケッチの内容を見ると、山近くのようですから、松倉(↑路線図の赤線の左端)あたりでしょうか。

ともかく、路線にトンネルはありません。
昼間なのに、運転士の気まぐれで車内の電灯が点いたのでしょうか。

「豆ばたけ」は、大豆畑です:画像ファイル:大豆畑

ダイズは、葉の裏が真っ白いので、ダイズ畑に風が立つと、葉裏がひらひら翻って、目立ちます。

『歌稿A・B』に:

「風吹きて豆のはたけのあたふたと葉裏をしらみこゝろくるほし」
(#249; 1915.4.-1916.3.)

という短歌があって、
宮沢賢治は、大豆畑に風が吹いて、ダイズの白い葉裏がひらひらと翻る風景を見ると、悲しい気分になったようです。

これは、のちの作品でも、しばしば言及されています。

例えば、翌1923年9月のスケッチ「昴」では、作品「電車」とほぼ同じ場所で、車窓から夜の大豆畑を見て:

「豆ばたけのその喪神のあざやかさ」

と詠んでいます。

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