ゆらぐ蜉蝣文字


第4章 グランド電柱
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4.7.5


しかし、後半に入ると、がらっと雰囲気が変ります。
風景は、明らかに立体的になり、前半のような権威ぶった“考察”は姿を消すのです。

かわりに、そこに現れるのは、「ホルスタインの群(ぐん)を指導」する農夫の姿に対する讃嘆です。「何といふいい精神だ」を2回繰り返し、ほとんど畏敬に近い憧れの気持ちを吐露しています:

. 春と修羅・初版本

07ああ何といふいい精神だ
08株式取引所や議事堂でばかり
09フロツクコートは着られるものでない
10むしろこんな黄水晶(シトリン)の夕方に
11まつ青(さ)おな稲の槍の間で
12ホルスタインの群(ぐん)を指導するとき
13よく適合し効果もある
14何といふいい精神だらう
15たとへそれが羊羹いろでぼろぼろで
16あるひはすこし暑くもあらうが
17あんなまじめな直立や
18風景のなかの敬虔な人間を
19わたくしはいままで見たことがない

もちろん、「フロックコート」を着て放牧をする農夫は、小岩井農場にもいないでしょうからw、‥「フロックコート」は作者の敬意の表現でしょう。じっさいは、ただのぼろぼろの黒い上着ですが、

それが、「株式取引所や議事堂」で人々が着ているフロック・コートにも劣らない堂々たる姿だと言うのです。

11まつ青おな稲の槍の間で

稲の育っている田に牛を入れて放牧することはありえないでしょう。この6月の時期にそんなことをしたら、まだ柔かい稲の苗は、牛に齧られて無くなってしまうでしょうから。

したがって、これは、稲の葉越しに、田んぼの向こうの放牧地にいる農夫と牛たちが見えるのでしょう。

しかし、それにしても、この農夫はふつうの農民ではありません。

「ホルスタインの群」が自分の牛だとしたら相当の富農でしょう。委託を受けるにしても、知識経験がなくてはなりません。

そういうわけで、これは花巻などの普通の酪農家ではないと思うのです。

結論から言うと、小岩井農場の《育牛部》の放牧風景だと思うのですが、
そう推定できる根拠は、ほかにもいくつかあります。

詳しくは、「高級の霧」を見たあとで……


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