ゆらぐ蜉蝣文字


第4章 グランド電柱
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【40】 岩手山





4.8.1


「岩手山」は、6月27日(火曜日)付スケッチの最初です:

. 春と修羅・初版本

  岩手山

01そらの散亂反射のなかに
02古ぼけて黒くえぐるもの
03ひかりの微塵(みぢん)系列の底に
04きたなくしろく澱むもの

北上平野☆から岩手山を見ると、山よりも何よりも、とにかく空の広さに圧倒されます。写真だと、どうしても岩手山そのものをアップして撮しますから、なかなかその雰囲気が伝わらないのですが‥

岩手山について、文字や写真で見ていた人が、はじめて盛岡周辺に来たときに、意外の感に打たれるのは、この空の広さ──大空の中にある岩手山という景観なのです:画像ファイル・岩手山

☆(注) 一関付近から盛岡付近までの北上川沿いの平地のこと。海に接していないので、“北上盆地”というほうが正確らしいです。

このスケッチ、ギトンも最初は、地上から見上げた山ではなく、上空から見下ろした姿を想像して書いているのではないか‥などと、いろいろ考えました。

しかし、岩手へ行った時の印象を思い出して考えた結果、やはり麓から見た景観として、おかしくはないと思います‥

↑↑上のファイルの写真でわかるように、
盛岡以南のような少し離れた広い場所から眺めたり、あるいは、小岩井農場の丘の上から見ると、岩手山は地平に沈んだように小さく見えるのです。

「そらの散亂反射」「ひかりの微塵系列の底」──どちらも賢治お得意の夏空の、輝く空の描写ですが、

岩手山の姿を

「古ぼけて黒くえぐるもの」

「きたなくしろく澱むもの」

と表現しているのは、非常に特異かもしれません。

岩手山を詠んだ啄木の短歌に、

 ふるさとの山に向ひて
 言ふことなし
 ふるさとの山はありがたきかな   
(『一握の砂』より)

という有名なのがありますが、岩手山の姿は、どこから見ても堂々としていて、まさに“言うことない”のです。

広い大空の「底」のほうにちょこっと見えているときでも、目を向ければ自ずと望遠モードで見てしまいますから、貶しようがありません。

端正な富士山形ではなく、“南部片富士”と言われるように、左のほうへ流れるように崩れた形が、かえっていやみがなくていいのです。

そういう岩手山の印象を抱いて、賢治のこのスケッチを読むと、意外なものを感じさせられます。…こんな岩手山の見方もあったのか、と教えられるのです。

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