ゆらぐ蜉蝣文字
□第3章 小岩井農場
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3.5.36
. 春と修羅・初版本
134みちがぐんぐんうしろから湧き
135過ぎて來た方へたたんで行く
136むら氣な四本の櫻も
137記憶のやうにとほざかる
138たのしい地球の氣圏の春だ
139みんなうたつたりはしつたり
140はねあがつたりするがいい
「むら氣な四本の櫻」(136行目)は、「さくらの幽霊」の再登場です。
作者は、すでに「へ・3」林地からかなり離れたところまで歩いて来たので、
例のオオヤマザクラの群生も、だんだん見えなってきました。
「記憶のやうにとほざかる」(137行目)──サクラの木の記憶だけが残り、
じっさいにサクラの木を見たのかどうかも、あやふやになってしまうのです。
この「四本の櫻」☆は、すでに説明したように、宮澤、保阪をはじめとする《アザリア》の“4人の仲間”を象徴しているのですが、
そのことがはっきりと述べられるのは、帰路において──「パート9」においてです。
☆(注) 「四五本」「五本」と言っていたのが、ここで「四本」になったのは、作者の脳裏に《アザリアの4人》が、よりはっきりと現れてきたからでしょう。なお、保阪嘉内と《アザリアの4人》については⇒いんとろ【8】たったひとりの恋人:保阪嘉内
139みんなうたつたりはしつたり
140はねあがつたりするがいい
は、『太陽マヂック』にも、対応する部分があります:
. 散文『太陽マヂック』
「そこの角から赤髪の子供がひとり、こっちをのぞいてわらってゐます。〔…〕
さあ、春だ、うたったり走ったり、とびあがったりするがいい。風野又三郎だって、☆大よろこびで髪をぱちゃぱちゃやりながら野はらを飛んであるいて春が来た、春が来たをうたってゐるよ。ほんたうにもう、走ったりうたったり、飛びあがったりするがいい。ぼくたちはいまいそがしいんだよ。」
『太陽マヂック』でも、歌ったり跳ねたりしているのは、実習作業で忙しい少年たちではなく、もっと年少の子供たち、ないし「風野又三郎」のような自然の妖精たちなのです。
☆(注) 『イーハトーボ農学校の春』への推敲過程では、重要な変更はないのですが、唯一注意を惹くのは、この☆の位置に、「もうガラスのマントをひらひらさせ」という語句が挿入されていることです。童話『風の又三郎』の先駆形『風野又三郎』が書かれたのは『太陽マヂック』よりやや早い時期と思われますが、そこでは、赤毛でガラスの靴を履き、“透き通った鼠色のマント”を着た又三郎が登場します。そのマントは、又三郎が去って行く最後の場面で、「ガラスマント」になるのです。
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