ゆらぐ蜉蝣文字


第3章 小岩井農場
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【28】 小岩井農場・パート5/6





3.6.1


. 春と修羅・初版本
《初版本》↑を見ると、「パート五」「パート六」は、題名だけあって中身がなく、本文は「パート七」へ跳んでいます。

そこで、「パート七」のはじめを見ますと、

「とびいろのはたけが〔…〕
 すきとほる雨のつぶに洗はれてゐる」

とあるように、雨が降っています。さきほど見た「パート四」では陽が差していました。

また、この間に、じつは作者は折り返して、進んで来た道を、また駅のほうへ戻って行こうとしているのです。

「パート五」〜「パート六」のあいだに、作者の向きは逆になり、
天候も晴れから雨に変りました。
作者が折り返したのは、雨が降り出したからです☆。

 岡澤氏の指摘する‘行き’と‘帰り’の対比の重要さ、したがってその転回に重要な意味があることを考えると、
この《初版本》から削除された「パート五・六」を無視することはできません。

☆(注) もっとも、この‘折り返し’じたい、フィクションの可能性があります。というのは、岡澤氏が考証されたように、‘帰り道’の雨の情景は、行きの主なスケッチを行なった1922年5月21日のものではなく、その2週間前5月7日の取材によるものと考えられるからです:『賢治歩行詩考』pp.120-121.

さいわい、賢治は、「パート五・六」に相当する部分の下書稿をかなり残しています。2通りの下書きが残っていて、研究者は、【下書稿】および【清書後手入稿】と呼びならわしています★

★(注) どちらも、用紙に書き下ろしたあとで、推敲(手入れ)を加えています。【下書稿】の手入れ後の形が、【清書稿】の手入れ前の形とほぼ同じ、という関係です。

内容を見ると、たしかに「パート四」までの高揚した調子は影を潜め、大部分が独白の記録のようになってしまっていますから、破棄されたのもやむをえない感じがします。
しかし、作者がその思索に深く沈潜し、記録したのは、その内容が、完成された長詩のテーマともく関わるからだと思います。

そこで、【下書稿】・【清書後手入稿】の「パート四」終結部から「パート六」までを、この節で検討したいと思います。

. 「小岩井農場」【清書稿】
↑こちらが【清書後手入稿】です。

「一体これは幻想なのか。
 決して幻想ではないぞ。
 透明なたましひの一列が
 小岩井農場の日光の中を
 調子をそろへてあるくこと
 これがどうして偽だらう。
 どうしてそれを反証する。」

まず、最初の部分は、《初版本》の「パート4」に続く内容です。

「※※※※※※※※第五綴」

という行までの部分は、

《初版本》では削られていますが、本来は「パート4」の末尾だったと思われます。

「決して幻想ではないぞ。」と言っていますが、
じっさい、賢治が農場で行き会った小学生の一団なのですから、多少のモディファイはあっても実景です。

しかし、作者が、「一体これは幻想なのか。〔…〕幻想ではないぞ。」と自問自答しているのは、

道が小岩井小学校の前を過ぎたので、子どもたちは学校に入って行って、見えなくなってしまったからだと思われます:小岩井農場略図(1)

「後退りで私はすっかりつかれたのだ。」

と書いています。賢治は、子どもたちのほうを向いて後ずさりに歩いて来たのでした。
そして、

「そら、もう向ふに耕耘部の
 亜鉛の屋根が見えて来た。〔…〕」

という詩行が、小学校の前を通り過ぎたことを示しています。
当時、小学校付近まで行くと、この耕耘部倉庫(四階建倉庫)のトタン張りの屋根が見えてきたと云います(『賢治歩行詩考』pp.69-70)

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