ゆらぐ蜉蝣文字
□第3章 小岩井農場
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3.5.26
「さくらの幽霊」は、いま目の前にはいなくとも「心には見えている」「『アザリア』の四人の仲間」★を意味しているという菅原氏の指摘は、
【下書稿】ではそのすぐあとに、
保阪との《訣れ》以後のナマの心境を述べた独白「いまこそおれはさびしくない」が来ていることからも、支持できると思うのです。
★(注) 保阪嘉内と“《アザリア》の4人”については⇒いんとろ【8】たったひとりの恋人:保阪嘉内
72向ふの青草の高みに四五本乱れて
73なんといふ氣まぐれなさくらだらう
74みんなさくらの幽霊だ
75内面はしだれやなぎで
76鴇いろの花をつけてゐる
赤みの強いピンクの花をつけたオオヤマザクラ──風の強い耕地の頂きに自生しているため、風衝樹形となって、曲がった枝を絡ませ合っていますが、
それは、気まぐれでムラ気な若木のようだった仲間たちの象徴なのです☆。
☆(注) 賢治は、高等農林時代に、保阪と、小岩井農場付近にも来ていると思われるので、この「さくらの幽霊」は、当時から賢治と保阪の間では、《アザリア》の仲間を象徴するモニュメントだったかもしれません。45行目にあった「四列の茶いろな落葉松」についても、同様の推測が考えられます。
「内面はしだれやなぎ」は、【下書稿】では:
「やなぎがさくらに化けた」
「精神はやなぎだ。そして桜の花をつける」
となっていました。
外面は華やかであっても(詩や短歌を創って発表するなど)、内面は非常に感じやすく傷つきやすい・少年の心そのままの4人を象徴する野生のサクラなのでした。
桜の「幽霊」と呼んでいるのも、「やなぎが‥化けた」桜だからだと思います。
. 春と修羅・初版本「パート4」
_95田舎ふうのダブルカラなど引き裂いてしまへ
_96それからさきがあんまり青黒くなつてきたら……
_97そんなさきまでかんがへないでいい
_98ちからいつぱい口笛を吹け
_99口笛をふけ 陽の錯綜
100たよりもない光波のふるひ
「青黒くなつてきたら」については、類例を並べてみますと:
@「溺れ行く人のいかりは青黒き霧とながれて人を灼くなり」(『歌稿A』#684,「青びとのながれ」)
A「青黒さがすきとほるまでかなしいのです。」(〔堅い瓔珞はまっすぐに下に垂れ〕)
@は、地獄図のような川に溺れながら、たがいに食い合いながら流れてゆく人々の凄惨な図。
Aは、天から、水に溺れるようにして堕ちて来る天人たちの・水を呑み込んで溺れる気持ちを描いています。
悲しみを通り越して、ただ凄まじいとしか言いようのない感覚です。
B「たゞよひてみゆ
かなしき心象
なみださへ
その青黝の辺に
消え行くらし。」(『冬のスケッチ』39葉,§1)
ここでも、「青黝」は、悲しさを通り越した、涙さえ消えてしまうような最果てを指しています。
C「春は草穂に呆け
うつくしさは消えるぞ
(ここは蒼ぐろくてがらんとしたもんだ)」(春光呪咀)
《第1章》にあった・この詩句も、ただごとでない恐怖の世界を言っていることが解ります。
“恋”に高揚した薔薇色の世界が消え去った後の、がらんとした空虚を言っているのでしょうか?‥
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