ゆらぐ蜉蝣文字


第3章 小岩井農場
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3.5.16


のちほど「パート9」で、逆に、図上部の小岩井小学校方面から戻って来るときには、「四ツ森」に差しかかる前に、赤矢印‘’の地点で、“幽霊桜”が先に見えてくることになります:「下丸5〜8号拡大図」 写真 (y) (z) その後、「四ツ森」を通過すると、坂の下から再び「下丸7号耕地」の上に“幽霊桜”が見えます。

「パート9」から、戻って来るときの見え方が書かれている部分を、引用してみますと(⇒:小岩井農場《パート9》3.10.9):

. 春と修羅・初版本「パート9」

01すきとほつてゆれてゐるのは
02さつきの剽悍な四本のさくら
03わたくしはそれを知つてゐるけれども
04眼にははつきり見てゐない
   〔…〕
35さうです 農場のこのへんは
36まつたく不思議におもはれます
37どうしてかわたくしはここらを
38der heilige Punkt と
39呼びたいやうな氣がします

このように、まず“幽霊桜”が見えてから──とは言っても、林区「へ3」を通して見るので、はっきりとは見えません(↑4行目)──しばらく歩いた後で、「der heilige Punkt (聖なる地)」★が見えるようになります。

★(注) der heilige Punkt 〔発音:デァ・ハイリゲ・プンクト〕は、ドイツ語で、「神聖な地点」という意味。“der”は定冠詞。

つまり、「聖なる地」とは、下丸7号耕地のことと思われます:「下丸5〜8号拡大図」 写真 (w) 写真7,8

その「聖なる地」の奥に鎮座するのが、4本の「さくらの幽霊」というわけです。

この下丸7号耕地は、現在行って見ても、たしかに一種独特の雰囲気を醸しています。おそらく、まわりから森や林地が囲んでいる閉鎖空間の雰囲気と、奥のほうへせり上がる・ゆるやかなスロープが、そう感じさせるのだと思います。

しかも、奥の「へ3」林地の後背には、ちょうど岩手山の主峰が見えるのです。

はるか奥に神の座がある広大な神殿──という趣きでしょうか…





しかし、ギトンがやや疑問に思うのは、
帰路の「パート9」では:

35さうです 農場のこのへんは
36まつたく不思議におもはれます
37どうしてかわたくしはここらを
38der heilige Punkt と
39呼びたいやうな氣がします

と書いているのに、
往路の「パート4」には──同じ場所を通っているのに──まったくそんなことは書いてないのです。

そればかりか、奥にある「四本のさくら」を「幽霊」と呼び、「四五本乱れて」「なんといふ気まぐれな」などと、けなすような書き方をしているのです:

. 春と修羅・初版本「パート4」

71いま見はらかす耕地のはづれ
72向ふの青草の高みに四五本乱れて
73なんといふ氣まぐれなさくらだらう
74みんなさくらの幽霊だ

つまり、往路での作者の心持ち・風景の見え方と、帰路でのそれとの間には、大きな違いが──転換★があるのです。

★(注) 岡澤氏は、この‘転換’について、賢治は、折り返し点の付近で、陰陽(おんみょう)道のイニシエーションを行なってきたと考えておられるようです(『賢治歩行詩考』pp.113-119)。ギトンには、賢治が陰陽道の実践家だったとは思えません。しかし、往路(パート4〜6)と帰路(パート7,9)の詩句を比較するという岡澤氏の方法は、すぐれていると思います。

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