ゆらぐ蜉蝣文字


第3章 小岩井農場
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3.2.8


. 春と修羅・初版本

74ずうつと遠くのくらいところでは
75鶯もごろごろ啼いてゐる
76その透明な群青のうぐひすが
77 (ほんたうの鶯の方はドイツ讀本の
78  ハンスがうぐひすでないよと云つた)
79馬車はずんずん遠くなる
80大きくゆれるしはねあがる
81紳士もかろくはねあがる
82このひとはもうよほど世間をわたり
83いまは青ぐろいふちのやうなとこへ
84すましてこしかけてゐるひとなのだ
85そしてずんすん遠くなる




74-78行目では、「ずうつと遠くの」暗がりで「ごろごろ啼いてゐる」「透明な群青のうぐひす」、そして、アンデルセン童話や『独文読本』の・目立たない本物のウグイスが、

羽がきれいでケバケバしい派手なマヒワ──つまり、オリーブ色の背広の「農学士」のような小綺麗なエリート──と比較されています。ほんとうに美しい歌が歌える「ほんたうの鶯」は、地味な姿をしているものなのです。そのため、世間の人々は、見た目がキレイなエリートをもてはやし、優遇する一方で、「ほんたうの鶯」──汚れた実習服姿の作者──は、さげすまれて、お迎えの馬車にも乗せてもらえないことになります。

79行目以下では、このような対比を前提に、「オリーブのせびろ」の「農学士」は、「青ぐろいふち」に「澄まして腰かけてゐる」世慣れた紳士…(ニセモノのウグイス、きれいな羽のマヒワ)…に変貌し、この紳士は、馬車に乗って「ずんずん遠くな」って行くのです。

作者は、はじめ、“紳士”の着ている背広の“オリーブ色”、そして「化学の古川教授」に似た・おとなしそうな雰囲気に惹かれていました。その“オリーブ色”は、5月の丘を彩る柔かそうな若葉の“ひわいろ”を思わせたのです。背広の“オリーブ色”は、ウグイスの羽の色でもあります。

しかし、いま、作者が“紳士”に抱くイメージは一変しました。
“紳士”は、本物のウグイスではないのだ‥‥アンデルセン童話で、本物のウグイスを押しのけて皇帝に取り入っているニセモノなのだ‥☆

☆(注) 「遠くの」暗がりで「ごろごろ啼いてゐる」ウグイスに関連して:鳥が“ごろごろ啼く”というモチーフは、しばしば現れます。たとえば、『春と修羅・第2集』の:「旅程幻想」。「ずうつと遠くのくらいところで‥ごろごろ啼いてゐる‥透明な群青のうぐひす」とは、人間社会で認知されて“うぐいす”となる以前の未分化の〈とり〉を思わせます。──アンデルセン童話で言うなら、皇帝に呼ばれて宮廷に来る前…人々に知られるより前に、森の深奥で暮らしていた・その〈とり〉です。人々に“うぐいす”として認知され、美しい羽と声を賞賛されるようになると、「よほど世間をわたり」、世慣れて「すましてゐる」ようにもなるでしょうし、逆に、皇帝の気まぐれで冷遇され追放されてしまうこともあるでしょう。しかし、人々の目が届かない「ずうつと遠くのくらいところ」には、なお未分化の〈うぐいす〉がいて、低い声でごろごろ啼いている。──賢治には、この意味での“未分化の存在”ないし“何者でもない者”へ向かって遡行して行こうとする強い志向があるようです:佐藤通雅『宮沢賢治から〈宮沢賢治〉へ』,1993,学藝書林.参照。それは、賢治の内実に備わった・基質ないし衝動と言ってもよいものです。

. 春と修羅・初版本

86はたけの馬は二ひき
87ひとはふたりで赤い
88雲に瀘された日光のために
89いよいよあかく灼やけてゐる
90冬にきたときとはまるでべつだ

丘の下の畑で馬耕している農夫は、もう赤く日焼けしています。日差しの強い季節になっているのです。
この畑は、まだ駅から網張街道へ抜ける途中で、ここはまだ小岩井農場ではありません。しかし、畑で馬耕しているのは、やはり農場の影響を受けて、労働生産性の高い畑作に努めているのかもしれません。

「冬にきたとき」とは、「屈折率」「くらかけの雪」のスケッチが生まれた1月6日の“農場行き”と思われます。その時は、丘も畑も雪におおわれっていて、作者は、「でこぼこ凍ったみちをふ」んで、農場へ向かったのでした。

今は、5月の陽に照らされて、まるで別の場所のようです。
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