『心象スケッチ 春と修羅』
□小岩井農場
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馬車はずんずん遠くなる
大きくゆれるしはねあがる
紳士もかろくはねあがる
このひとはもうよほど世間をわたり
いまは青ぐろいふちのやうなとこへ
すましてこしかけてゐるひとなのだ
そしてずんすん遠くなる
はたけの馬は二ひき
ひとはふたりで赤い
雲に瀘こされた日光のために
いよいよあかく灼やけてゐる
冬にきたときとはまるでべつだ
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みんなすつかり變つてゐる
變つたとはいへそれは雪が往き
雲が展ひらけてつちが呼吸し
幹や芽のなかに燐光や樹液がながれ
あをじろい春になつただけだ
それよりもこんなせわしい心象の明滅をつらね
すみやかなすみやかな萬法流轉ばんぽうるてんのなかに
小岩井のきれいな野はらや牧塲の標本が
いかにも確かに繼起するといふことが
どんなに新鮮な奇蹟だらう
ほんたうにこのみちをこの前行くときは
空氣がひどく稠密で