ゆらぐ蜉蝣文字


第3章 小岩井農場
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3.2.7


. 春と修羅・初版本

73嫩葉(わかば)がさまざまにひるがへる
74ずうつと遠くのくらいところでは
75鶯もごろごろ啼いてゐる
76その透明な群青のうぐひすが
77 (ほんたうの鶯の方はドイツ讀本の
78  ハンスがうぐひすでないよと云つた)

アンデルセン童話「うぐいす(Nachtigall)」は、↓こんなあらすじです:





「中国の皇帝の居城は、高価な陶磁器やたくさんの花々で彩られていたが、なかでも、その広大な庭の奥にいる鶯(ナイチンゲール)の鳴き声は絶品だった。他国から来る旅行者はみな鶯を誉めそやし、評判は世界中に広まった。ところが、皇帝自身は鶯を知らず、鳴き声も聞いたことがなかった。

 そこで、皇帝は、『そんな鳥はいません』とうそぶく執事長を怒鳴りつけ、宮殿の庭の奥深くから鶯を探して連れて来させた。
 こうして、自然の森の中で啼いていた鶯は、皇帝の居城に迎えられ、飼われることとなった。

 しかし、しばらくすると、皇帝は鶯に飽きてしまった。皇帝は、本物の鶯よりも、精巧な機械仕掛けの鶯のほうが気に入ってしまい、ついに、本物の鶯は、国外追放にされてしまう。

 皇帝はやがて、重病で危篤となった。すると、皇帝の臣下は、あっさりと皇帝を見捨てて、次期皇帝の所へ挨拶をしに行ってしまった。皇帝は、人々の無情を思い知るのだった。

 その時、追放されていた‘本物の鶯’が、皇帝の窓辺にやってきて、その美しい歌声で死神を懐柔して追い払い、皇帝は一命を取りとめたのだった。

 『ありがとう!ありがとう!……おまえは悪霊を追い払って私を生き返らせてくれた。どんな褒美をしたらよいのか?』

 と尋ねる皇帝に対して、鶯は言う:

 『ご褒美はもういただいています。むかし、私が初めてあなたの前で歌った時、あなたは涙を流されました。そのことを、私は決して忘れません。その涙こそ、歌うたいの心を喜ばせる宝石なのです。……

 『私は、お城に住むことはできませんが、気が向いた夜は、そこの窓辺に来て歌いましょう。幸せな者たち、苦しんでいる者たちについて、悪人について、善人について、あなたが自分の周りを見ていたのでは分からないさまざまなことについて歌いましょう。なぜなら、私は、貧しい漁師や百姓の屋根裏、あなたの宮廷から隔てられているあらゆる人々のもとを、自由に飛び回っているからです。

 『そして、ひとつだけ約束してください。あなたが一羽の小さな鳥から、国中のすべてについて聞き及んでいるということは、誰にも言わないと。
 『このようにすれば、すべてがもっと良くなるでしょう。』」

自分の気まぐれでウグイスを抱え込み、飽きると追放してしまう非情な皇帝は、自分が重病になるやいなや、彼自身も、まわりの人々に、打算だけでかしづかれていたことを知ります。

皇帝に追放されたウグイスは、故国デンマークで冷遇され、外国を旅する不安定な生活を強いられた詩人アンデルセン自身の境遇を表しているのかもしれません。

ともかく、ウグイスを精巧に真似した機械のほうを、皇帝も宮廷の人々も珍重し、本物の鳥のウグイスのほうは、「うぐひすでないよ」と言われて、追い出されてしまうのです。

“本物”は世の中で冷遇され、ひどければ追放されてしまい、その一方で、ニセモノが人々の称讃を受けて誇り輝く──という世の中の不条理を訴えているように思われます。

童話「うぐいす」で、宮廷の人々から冷遇される「ほんたうの鶯」の境遇は、賢治の《心象》にある「ずうつと遠くのくらいところで」「ごろごろ啼いてゐる」「透明な群青のうぐひす」に重なっていきます。

しかし、77-78行目のカッコ書き2行の含意は、これだけにとどまりません。ここには、アンデルセンだけでなく、ずっと広い象徴領域が隠されているのですが、それを論じるには別の1節を必要とするほどですから、こちらの《補論》をご参照ください:⇒鶯とデモンと“走れメロス”
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