ゆらぐ蜉蝣文字


第2章 真空溶媒
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2.1.21


. 春と修羅・初版本

171ぬれた大きな靴が片つ方

↑拾ったものか盗んだものか分かりませんが、片方では持っていても役に立ちません。

172それと赤鼻紳士の金鎖

↑やはり《赤鼻紳士》からも追い剥ぎをしていたのです。それにしても、金時計は盗らずに鎖だけとは、ずいぶん欲の無い追い剥ぎです。

持ち物を改めた結果、なんとも惨めな悪党だったことが判明し、

168保安掛り、じつに かあいさうです

不正義に対して、いったんは怒っても、
相手が屈服して怒りが鎮まってしまうと、もうすっかり関心を失ってしまうのは、宮澤賢治の性格かもしれません。
「じつに かあいさうです」と言っていますが、憤りも、その反動のような同情も、どちらも非常に浅いのだと思います。

宮沢賢治に対しては、敵をも愛するとか、情け深いとか、博愛だとかいう崇拝的な評価が多いようですが、ギトンは、ちょっと違うと思うのです。

そもそも、賢治は、他人に対して──その相手が、特別な愛着のある親友や恋人や家族でない限り──関心が薄いのだと思います。
つまり、「どうでもいヽ」↓のです。

  〔…〕
172それと赤鼻紳士の金鎖
173どうでもいヽ 実にいヽ空氣だ
174ほんたうに液体のやうな空氣だ
175 (ウーイ 神はほめられよ
176  みちからのたたふべきかな
177  ウーイ いヽ空氣だ)

「液体のような空気」☆は、ここでは、新鮮な渓流の水のように、吸って気持ちの良い空気、おいしい空気という意味です。

☆(注) 賢治の《スケッチ》には、大気を水のように、地上を水底のように見做しているものが、(はっきりそうとは書いてなくとも)非常にしばしばあると思います。例えば:「七つ森のこつちのひとつが/水の中よりもつと明るく」(屈折率);「ほんたうにこのみちをこの前行くときは/空気がひどく稠密で/つめたくそしてあかる過ぎた」(小岩井農場・パート一)。「風景」で、川沿いの低地(実習地)が、「いま青ガラスの模型の底になつてゐる」とか、「真空溶媒」の最初にあった「いまやそこらは alcohol 瓶のなかのけしき/白い輝雪のあちこちが切れて/あの永久の海蒼がのぞきでてゐる」なども、同様に、水(海)の中の風景として、見ているのかもしれません。

. 春と修羅・初版本

177  ウーイ いヽ空氣だ)

と、ほとんど、お酒を飲んでいるような歓びようです。
「御力(みちから)の讚(たた)うべきかな」は、牧師なので、神に感謝しています。

178そらの澄明 すべてのごみはみな洗はれて
179ひかりはすこしもとまらない
180だからあんなにまつくらだ
181太陽がくらくらまはつてゐるにもかはらず
182おれは数しれぬほしのまたたきを見る
183ことにもしろいマヂエラン星雲

「澄明」は、水や空気が澄みきっているさま。

179-180行目は、さきほどすでに説明しましたが、
空から来る光が、どこにも停まらずに直進して行くので、
光がやって来た空自体は、真っ暗になってしまう──という理屈です。
そして、作者の考えた理屈どおりに事態が進行して行くのが、賢治の幻想世界です。

そこで、
太陽が天頂で眩(くら)めいているのに、星空が見えている──ということになります。




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