ゆらぐ蜉蝣文字


第1章 春と修羅
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1.4.5


しかし、「ロシア革命の日本への影響は大きかった」という部分は、じっさいそうだったと思うのです。ただし、プラスの影響もあればマイナスの影響☆もあったという意味で。

☆(注) 国内では、例えば同年、雑誌『白樺』などが発売禁止になっています。政府や保守的な人々は、ロシアの人民主義や共産主義の思想が日本に及んで来ることを警戒したのです。

ロシア革命の翌1918年の3月、保阪嘉内◆が、学校から突然学籍除名処分を受けます。理由はいっさい明らかにされませんでしたが、賢治らとの同人誌『アザリア』に掲載された保阪の文章に、

「おい今だ、今だ、帝室をくつがえすの時は、ナイヒリズム」

という部分があったのが、当局を刺激したのではないかと言われています。また、憶測ですが、保阪は、学校への軍事教練導入に反対する運動の先頭に立っていた可能性もあります。

◆(注) 保阪嘉内については⇒いんとろ【8】たったひとりの恋人:保阪嘉内

この保阪除名事件が、保阪本人のみならず、宮澤賢治を含む《アザリア》同人たちの将来に、暗い影を投げかけたことは明らかです。

プラスの影響では、例えば、賢治が1923年に発表した童話『氷河鼠の毛皮』には、シベリア出兵(1918-1922)★の影響があるとされています。賢治は、「イーハトヴのタイチ」という野生動物の毛皮を大量に持った成金紳士を登場させ、彼を襲う匪賊に対して、一定の理解を示しています。この匪賊は、出兵の日本軍に抵抗した赤軍ゲリラを描いていると思われます。

★(注) 《シベリア出兵》は、ロシア革命に干渉するために列強が行なった軍事行動ですが、日本は列強の目的をも越えて領土的野心から出兵し、バイカル湖付近まで侵入・占領しました。また北樺太にも進駐し、列強が撤退した後も1925年まで占領を続けました。なお、米田利昭『賢治と啄木』,2003,大修館書店,p.147.によれば、『氷河鼠の毛皮』には、登場人物の若者の口を借りて「賢治のソヴィエト・ロシアへの好意と抗議」が表明されている。

ともかく、シベリアから吹いて来る風は、さまざまな意味で、賢治はじめ日本の若者に対して、影響を及ぼさずにはいなかったのだと思います‥

. 春と修羅・初版本

05 あすこの農夫の合羽のはじが
06 どこかの風に鋭く截りとられて来たことは
07 一千八百十年代の
08 佐野喜の木版に相当する

「あすこの農夫」は、高等農林在学中に、農村改良の夢を熱っぽく賢治に語った保阪嘉内を、暗に示しているのかもしれません‥◇

それで言えば、「一千八百十年代」は、「一千九百十年代」と読み替えることもできるかもしれませんね。

◇(注) 出版後に《初版本》に賢治が加えた推敲(宮澤家本)を見ると、5行目が、「その旅人の合羽のはじが」に変えられています。「その旅人」が何を指しているのかが難しいですが、@カタフォラ(後方照応)だとすれば、7-8行目の浮世絵に描かれた合羽の裾がひるがえっている人物になるでしょう。しかし、Aエクソフォラ(テキスト外照応)だとすると、「旅人」は保阪嘉内を暗に指しているかもしれません。『冬のスケッチ』でも、「黒装束の/脚の長い旅人」が現れる夢を記しています(32葉)。




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