宮沢賢治の《いきいきとした現在》へ
□第5章 「心象スケッチ」がめざしたもの
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←「五輪峠」は、口語詩として推敲を重ねたあと、その一部を文語詩に改作しています。
口語詩形では、“五輪峠”を主題としているというよりは、この年の春休みに、五輪峠越えをした山旅の思い出を、現場での歩行の《追体験》―――「心象スケッチ」によって書いていると言ったほうがよいでしょう。
同行しているのは、おそらく農学校の教え子で、その生徒が実家に帰るみちすがら、峠越えにつきあっているようです。
宮沢教諭は、五輪峠にある五輪塔の意味について生徒に説明していますが、そこから、仏教の物質観・自然観に話が及んでいきます。生徒には、わかりやすいように化学の原子論で、仏教の物質観を説明しています。しかし、賢治自身の仏教観も(「」の外の行)かなり原子論的に解釈しているようです。
この詩は、科学と仏教の“はざま”にあった宮沢賢治の考え方が知れて興味深いですが、それにはあまり深入りしないで、文語詩への改作形を見ることにします:
五輪峠
五輪峠と名づくるは
峠五つのゆゑならず
温石石と雪の松
苔蒸す塔に名を負ひぬ
『文語詩稿五十篇』より〔下書稿〕
“五輪峠”自体を主題化していますが、やはり「温石石★と雪の松」に、上の口語詩の末尾3行が反映しています。「苔蒸す塔」にも、この 1924年の峠越えの印象(↓)が刻印されていると思います。
★ 温石石(おんじゃくいし):ここでは蛇紋岩のこと。
「藪が陰気にこもってゐる
そこにあるのはまさしく古い五輪の塔だ
苔に蒸された花崗岩の古い五輪の塔だ」
つぎに、文語詩の〔定稿〕を見てみます↓
五輪峠
五輪峠と名づけしは、 地輪水輪また火風、
空輪五輪をかたどりし、 峠五つの故ならず。
ひかりうづまく黒の雲、 ほそぼそめぐる風のみち、
苔蒸す塔のかなたにて、 大野青々みぞれしぬ。
『文語詩稿五十篇』より〔定稿・手入れ前〕
第2連は、峠に達して向こう側の水沢方面の平野が見えた時の山旅の印象を《追体験》して書き加えています。“五輪塔”に象徴された仏教的物質観★を、峠から俯瞰する平野の上のみぞれ雲の雄大な光景に、重ねて観ようとする、ひとつの《本質直観》が表現されていると言えます。
★ 前のページの口語詩形に「核の塵」(雲粒の核となる空気中の微細な塵)という言葉がありましたが、文語詩定稿の第2連は、ラフカディオ・ハーンのそれに近い仏教的死生観を表現していると見ることができます⇒:ルバイヤートと宮沢賢治(6) ルバイヤートと宮沢賢治(7)
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文語詩作品を、もうひとつ見ておきたいと思います:
「遠く春べと見えにつゝ
草かゞよへるこの原は
玉をあざむく雪げ水
たゞいちめんに鳴りわたる
雪げの水のさゞめきて
まなじのかぎり雪げ水
うちさゞめきて奔るなれ
山には青き雪けむり
そらはひそまる瑠璃の板
白樺たてるこの原は
さあれわたらんすべもなき」
『文語詩稿一百篇』より〔下書稿(二)〕
「かがよふ」は古語で、「きらきら光って揺れる。きらめく。」
「玉をあざむく」は、遠くから見ると、雪融け水の水面が、宝飾品のようにきれいに輝いているということでしょう。
遠くから見た時には、いちめんに黄色い枯れ草がゆれる春の草原と思っていたのに、近づいてみたら、轟音をひびかせて流れる雪融け水の大河と化していて、渡って行くことさえできそうもない‥という“ゲシュタルト変換”の体験がテーマです。
〔下書稿(一)〕に、「かの三つ森にわたり行きなん」とありますから、この場所は、大更(おおぶけ)の西方の一本木野と思われます。岩手山麓のゆるやかに傾斜した裾野で、当時は広大な原野が広がっていました。
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