ゆらぐ蜉蝣文字


第7章 オホーツク挽歌
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7.12.5


. 春と修羅・初版本

04とし子は大きく眼をあいて
05烈しい薔薇いろの火に燃されながら
06(あの七月の高い熱……)
07鳥が棲み空氣の水のやうな林のことを考へてゐた
08(かんがへてゐたのか
09 いまかんがへてゐるのか)
10車室の軋[きし]りは二疋の栗鼠(りす)

この作品には、トシに関する思索がたくさん書かれていますが、これまでとは違って、余裕のある態度で思い返しているように見えます。やはり、気持ちに余裕があるので、トシについても、いままでになく自由な思索ができているのだと思います。

いままでは、たとえば、「兄が来たのであんなにかなしく啼いてゐる」、「じぶんにすくふちからをうしなつたとき/わたくしのいもうとをもうしなつた」(白い鳥)、“天へ昇って行っただろうか、それとも気味の悪い世界に閉じ込められているのか?”、「あの顔いろは少し青かつたよ」、いや、「あいつはどこへ堕ちやうと/もう無上道に属してゐる」、「けつしてひとりをいのつてはいけない」(青森挽歌)、「われわれが信じわれわれの行かうとするみちが/もしまちがひであつたなら」(宗谷挽歌)、「なぜおまへはそんなにひとりばかりの妹を/悼んでゐるかと遠いひとびとの表情が言ひ」(オホーツク挽歌)、‥‥などなど、極端な自責や、宗教的な疑問と疑い、教義に沿わねばならないという強迫観念などが、次々に、矢ぶすまのように刺さってきていたのでした。

しかし、「噴火湾」では、──自責の念はなおあるにせよ──感情の赴くままに、宗教的な枠組みなどは気にせずに、生前、トシが希んでいたことなどを回想しています。

1年前の7月、もっとも高熱に苦しめられていた時に、トシは、「鳥が棲み空氣の水のやうな林」の中を慕っていました。“涼しい林の中へ行けるなら、死んでもよい”とまで、つぶやいていたのでした。

これは、花巻・豊沢町の本宅の病室が、古くて暗い部屋で、病人には耐え難かったようです。そこで、トシの希望を容れて、7月6日頃、トシを下根子の別宅(のちに『羅須地人協会』となる建物)に移しました(年譜)。下根子の家は、周りを林に囲まれた北上川沿いの段丘の上にありました。(⇒下根子の別宅

08(かんがへてゐたのか
09 いまかんがへてゐるのか)

1年前にトシが、そう思っていたというよりも、作者には、現にいま、どこかの世界で──あるいは、作者のすぐそばで《この世界》と境を接した《異界》で──トシがそう思っているような気がするのです。あとのほうでは:

. 春と修羅・初版本

27一千九百二十三年の
28とし子はやさしく眼をみひらいて
29透明薔薇の身熱から
30青い林をかんがへてゐる

と、書いています。


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