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Memory.2 【 迷子になった私 】



 私は四歳の時に迷子になったことがある。
 それは引っ越ししたその日のことだった。荷物の整理に追われる両親や引っ越しの片付けを手伝う兄や姉たちは忙しく、誰も私と遊んでくれなかった。
 役に立たない四歳児は、みんなから忘れ去られて退屈し切っていた。

 そこは初めての町だった。
 前に住んでいたところは近くに大きな川があったけど、駅から遠くて不便な場所だった。お父さんの仕事の都合で、こんど社宅というものに入ることになった――。
 今までは平屋のボロ家だったけど、今度は三階建ての二階が我が家だ。うちは家族が多いので社宅でみんなの迷惑にならないかとお母さんは凄く心配していた。以前「お宅は子どもが多くて、うるさい!」と近所の人に苦情を言われたことがあるからだ。
 子どもが多いとドタバタ足音が喧しいので、社宅の階下の人に気を使ってしまう、とかく大家族への世間の風当りは強かった。

 小さい子供は引っ越しの邪魔だからと外へ追いやられて、家の前の道で遊んでいた。
 石を蹴ったり、ローセキで絵を描いたりしていたが、誰も知り合いがいない、この町では独りぼっちでつまらなかった。
 退屈しきった私は家の前の道を歩き始めた。ただ、周りの風景や町を見たくて……知らない道をどんどんと歩いていった。
 その時、自分が迷子になるなんて考えもしない。初めての町が珍しく、好奇心を満たすためだけに歩いていった。
 どのくらい歩いただろうか? 
 大きな交差点に出たところまでは覚えている。そこは四歳児が一人で横断できるような道路ではなかった。ここに来て初めて自分は知らない所に居ることに気が付いた。そして帰り道が分からず、頼れる人がいない事実にも驚愕したのだ。
 どうしよう、どうしよう……家が分からない、あたし一人じゃあ家に帰れない!
 ついにパニックになった四歳児は大声で泣き出した。

 ――ここでしばし、記憶が途切れる。

 この後、近所を歩いていた人に交番へ連れていって貰ったようなのだが、どんな人だったのか思い出させない。
 あやふやな記憶だが、大人たちに取り囲まれて「この子、どこの子?」「お嬢ちゃん、どこから来たの?」「お父さんは? お母さんは?」そんな質問を矢継ぎ早に浴びせられて、人見知りの激しい四歳児は更にパニックに陥っていたようなのだ。

 この迷子事件は2分の1世紀経った今も断片的ではあるが、割と鮮明に覚えている。
 後ほど妄想と空想が混ざり合って、多少の脚色もされているとは思うが、四歳児だった私にとっては衝撃的な事件であったことは間違いない。
 交番に保護されてから、たぶん、自分の名前や年齢、両親の名前などを質問されたように思う。あっぱれ親の名前を答え、今日引っ越ししてきたことをお巡りさんに、ちゃんと私は言えたようなのだ。
 それで他にいたお巡りさんが私の親を探しに行ってくれた。
 しょせん、四歳児の移動距離なんて知れたものである。割と簡単に引っ越ししてきたばかりの家が見つかったみたいだ。
 交番で待っている間、お巡りさんがうどんを食べさせてくれた。お昼時だったし、痩せて貧相な子どもだったので不憫に思ったのだろうか。今でもハッキリ覚えている、それは「卵とじうどん」だった。
 白状すると、私は異常なほどの卵が好きな人間なのだ。年齢的にコレステロールが心配だからもう止めようと思うが、ほぼ、毎日一個は食べ続けている。

 その時、食べた「卵とじうどん」のなんと美味しかったこと!

 いっぺんに交番が好きになってしまった。今でもお巡りさんに好印象を持っているのは四歳児への刷り込みが強烈だったからと言えよう――。
 そして、親が見つかり家に連れて帰られた私だったが、何んと驚くべきことに、お巡りさんに来られるまで、私が迷子になっているという事実に、まったく両親は気づいていなかったということだ!
 私って……居ても、居なくても分からないような、どうでもいい存在だったのだろうか? その時、抱いた親への不信感は一生拭えないままでいる。

 ともあれ迷子になったが無事に家に帰れたのだから、めでたし、めでたし……と言いたいところだが、あの時、迷子になったのは私ではなく、私自身の存在感だったような気がしてならない。
 だから、見失った存在感を探して。――あれから2分の1世紀、今も知らない道を彷徨っている。



― おしまい ―









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