05/27の日記
15：51
【ＢＬ週記】志賀直哉と里見弴―――同性の愛慾と葛藤(1)
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松江市・内中原町 左は松江城
1914年5-7月志賀直哉と里見
弴はこの地で共に過ごした。
こんばんは。(º.-)☆ﾉ
志賀直哉(しが・なおや 1883-1971)と里見弴(さとみ・とん 1888-1983 本名:山内英夫)は、白樺派の小説家。２人について知りたい人は、ウィキを見てください⇒：志賀直哉 ⇒：里見弴
２人の10代から30代はじめまでの同性愛関係を追究するのが、ここでのテーマです。
里見弴が志賀直哉との交友を描いた私小説『君と私』(1913年）は、ほとんど事実そのままを書いているようですから、これを中心に据えて、２人のほかの小説や伝記でおぎなっていけば、事実関係についてはかなり細かく知ることができます。
ただ、実在の人物はあくまでもモデルなので、小説ではそれぞれ別の氏名で登場します。そこで、引用にあたっては、適宜、モデルに関する説明を｛ ｝に入れて挿入することにします。
また、“事実そのまま”とは言っても、身体の関係やそれを思わせるような表現が出てくるわけではありません。当時は同性、異性にかかわりなく、社会一般の風俗規制は厳しかったうえ、彼らのめざす“純文学”は、猟奇趣味やエロの対象として扱われることをたいへんに警戒していました。仲間うちの同人回覧誌に載せていたときから、事前に原稿を見せ合って、不穏当な部分を削除したり直したりしています。
したがって、同性愛そのものについては、多分に推測を加えて語らなければならないことをお断りしておきます。とは言っても、ネットに多い猟奇趣味とは一線を画して、できるだけ根拠のない付会は避けるように努めました。そのかねあいは、なかなか難しいのですが｡｡｡
【１】それぞれの家族関係と交友の概略
里見弴（1888-1983 本名：山内英夫）の父・有島武は、大蔵省関税局長などを歴任した財務官僚でしたが、1893年、英夫が 5歳の時に退職して実業界入りし、鉄道会社、銀行などの重役を勤め、また、北海道に農場を所有していました。
里見の苗字が両親と違うのは、出生後まもなく叔父・山内（やまのうち）家の養子になったからですが、養子縁組は親族関係だけで、生活は、有島家の４男として成長しました。後継ぎのいない山内家に後継ぎを作るために、もっぱら家督相続上の目的で行なわれた縁組だったのです。
里見の長兄は小説家の有島武郎（本名）、次兄・有島生馬（本名：壬生馬）は、小説も書きましたが洋画家として知られています。父・有島武が北海道に持っていた農場を、長兄・武郎は、父の死後に解放し、また、『カインの末裔』など、この農場を舞台とした小説をいくつか書いています。
養子縁組のおかげで、弴（英夫）は、２人の兄よりも、若干自由だったかもしれません。学習院（大学）を中退してフリーの小説家の道に進むことができたのも、山内家の資産を独占でき、生活の心配がなかったからです。セックスの面でも、1902年（15歳）前後には、家（有島家）の中で「山川」という書生と「男色」(同性セックス）に耽溺していました。1906年（19歳）には、「八重（やえ）」という、家の女中と肉体関係を始めています。八重は当時アラフォーで、関係はもっぱら八重が望んだことだったようです。弴にとっては性欲処理以外の楽しみはなく、八重との関係は、たいへん負担になっています。
当時、有島家のような都会の資産家の家庭には、“書生”という若い男性がいました。多少とも家事を手伝いながら、学費を出してもらって学校へ通っていたのです。
“書生”と、その家の男の児との同性セックスは、どうも、当時はごくふつうに行なわれていたようです。下で書くように、志賀直哉も、はじめは自分の家の“書生”と、同性セックスをしていたらしい。
封建時代の殿様の子どもが、小さい時から性処理の相手をあてがわれるのと同じことで、同性でもなんでも、性処理を“てほどき”する者がいることは、子どもの健全な成長にとって必要なことだ―――そういう考えが、上流階級には、暗黙の常識としてあったのではないかと思います。
それに対して、女中とのセックスは、それほど一般的でも、おおっぴらでもなかったようですが、やはりしばしばありました。弴（英夫）も、八重との関係は、親に内密であったようです。
４歳年上の志賀直哉は、里見弴の学習院中等科での上級生で、里見の次兄・壬生馬の親友として知り合いました。
志賀直哉（1883-1971 本名）の兄・直行は早逝しており、直哉は実質的には志賀家の長男でした。父・直温は、第一銀行、文部省会計局などに勤務しましたが、総武鉄道の設立に参加して成功し、4年後の1897年（直哉14歳）には麻布三河台の 1682坪の豪邸に引っ越しています。以後の志賀家は、里見の有島家よりも裕福であったといえます。
志賀家にも「末永馨」という「３つばかり年上」の書生がいて、直哉は「兄貴分か従兄のやうに」親しくしていた、と阿川弘之著の伝記（『志賀直哉（上）』,1994）には書かれています。しかし、志賀も、14歳以後には、自宅近くの路上で出会った青少年と日常的に同性セックスをしていたと思われる根拠があります。末永とのあいだにも身体の関係があったと見てよいのではないでしょうか。
女中との関係では、志賀のケースは里見とは対照的です。志賀は、1907年（志賀29歳）に自家の女中「千代」と結婚を約束し、父、祖母の反対の中で「千代」と身体の関係を持ちます。
里見弴も当時、自家の女中「八重」と自宅内で肉体関係を継続していたのですが、家族には秘密にしており―――当時の資産家の広壮な屋敷では、そんなことが可能だったのです！―――、志賀直哉の堂々とした態度に圧倒されて、自分のほうの女中との交情を志賀に打ち明けることができず、悶々と悩むことになります（詳しくは後述）。
けっきょく、志賀直哉の「千代」との結婚は、父らの反対、また「千代」の実家も許可しなかったために挫折することになります（1907年10月）。里見も、1912年ころには「八重」から解放され、東京・吉原と大阪の娼婦にはまりこむことになります。
直哉と弴のあいだの交情は、こうした経緯のあいだをぬって、しだいに濃厚なものになっていき、離反と和解の波も激しくなります。1914年（直哉31歳 弴27歳）には、島根県・松江で約２か月間の共同生活――ただし下宿は別々――を送りますが、帰京後に葛藤を繰り返したあと、1916年7月、弴は直哉から決定的な「絶交状」を受け取ることになります。
２人は、1925年ころ和解することになりますが、すでに双方ともに妻子を持ち、社会的名声を背負った作家同士の“大人”の交友であり、同性愛の交情が復活することはなかったと見られます。
【２】武士道・任侠から「恋愛」へ―――明治・大正期「同性愛」の変容
一般に、明治～大正期の社会、とくに男子学生のあいだで、「同性愛」がどのようにイメージされ、また行われていたのか、ということも概観しておく必要があります。
「男性間の肛門性交を禁止する鶏姦条例が1872年に制定され、1873年には一部を変更した鶏姦罪が司法省によって制定された。しかしその後早くも1881年には刑法から削除されることになり、男性間の性行為が犯罪とされていたのは日本の歴史においては10年ほどのことであった。
実際には〔…〕鶏姦を行ったがために検挙された人物はほとんどいなかったとされている。つまり、『〔…〕象徴的な意味での性的な不品行のひとつとしての同性愛を「鶏姦」という概念で成立させた〔そしてむしろ、法律廃止後の時代に、「鶏姦罪」として不法に逮捕される事例が散見されるようになる。―――ギトン注〕』(古川誠「鶏姦時代の関連新聞記事」, in：古川誠・赤枝香奈子・編『戦前期同性愛関連文献集成 第3巻』不二出版,2006）」
男性同性愛に関しては、明治期末の 1900年～1910年を境とする大きな転換があったとされています。用語においても、明治期には「鶏姦」が、1910年代以後は「男色」「同性愛」がもっぱら使用されています。
明治期の新聞記事に現れる「鶏姦」事件記事の多くは、一方的・暴力的な肛門性交であり、「共同的かつ親密な行為としての」「鶏姦」は少なく、また同性との性交自体が、同意の有無、処罰の有無にかかわりなく風俗犯罪とみなされています。
1900年以前には「男色の語が登場する記事は非常に少ない。」しかし、実態においては、1900年前後から単なる「鶏姦」ではない友愛的な「男色」関係がめだつようになる。「古川誠は『19世紀から20世紀にかけての世紀転換期は、薩摩的な男色コードの最盛期であったと言える』と述べている。
古川（「セクシュアリティの変容：近代日本の同性愛をめぐる3つのコード」日米女性情報センター編『日米女性ジャーナル』17：29-55, 1994）によると、当時の男色の中心は「武士モデル」であった。このモデルは『愛する側である念者と愛される側である稚児との固定した枠組みに基づく同性愛関係』であり、『明治維新によって武士階級は消滅したのであるが、その男色文化は旧制の中学校や高等学校を中心とする学生文化の中に受け継がれていった』(古川［1994：30-31］)。
〔…〕年長集団が稚児としての年少者に対して忠誠を尽くすことであり、ここにはある種の親密な関係性が築かれていた。当時の学生は軟派と硬派に分かれており、『軟派は芝居や遊郭を好むグループであり、硬派とはいわゆるバンカラ風で粗暴な振る舞いをし、女性との接触を惰弱だとして避けるグループであった』(古川［1994：32］)。そして男色は硬派の特徴のひとつであった。〔…〕『男色を賛美するにあたってそれを武士道の伝統と結びつけるのは、男色賛美の典型的な発想』(古川［1994：34］)であったという。
〔…〕文学の研究（氏家幹人『武士道とエロス』講談社,1995）などからも、明治のこの時期には男色が珍しくなかったとされており、男色は特異な現象ではなかった。」
つまり、明治期における同性愛の特徴は、行為においては肛門性交であり、江戸期から継続する成人男子の“稚児”嗜好（継続的で親密な共同関係）を中心に、しばしば暴力的で相手の年齢を問わない肛門レイプがその周辺に存在したといえます。
とくに“「稚児」嗜好”のほうは、1880年代ころから、男子学生のあいだに流行するようになります。これは、学生寮、兵営など、男子のみの共同生活の機会が増えたことによる社会的変化でした。
「鶏姦規定は，刑法典の旧刑法への移行に伴い1882年に廃止されたが，その後も刑法の注釈書において鶏姦を『人倫ニ戻ルノ甚キモノ』『其害最モ大』として糾弾し，『鶏姦』に関しては特別の規定を設けて厳罰に処すべきであるという主張が述べられるなど，明治期の知識人層においては依然として，男性同士の性行為を排除し，禁止する価値観が存在していた。
一方，このような知識人層の価値観に反し，当時の男子学生の一部は，男色を肯定的に評価する価値観を共有していた。〔…〕森鷗外の『ヰタ・セクスアリス』(1909)は，『性欲的に観察して見ると，その頃の生徒仲間には軟派と硬派とがあつた』と記した後，春画を見たり，根津・吉原・品川などの悪所通いを行ったりする軟派と，男色を愛好する硬派とを対置し，数の上では軟派が優勢ながらも『硬派たるが書生の本色で，軟派たるは多少うしろめたい処があるやうに見えてゐた』と続くのである。
ここで『当世書生気質』と『ヰタ・セクスアリス』の両方に登場する，ある一冊の本に注目してみよう。それは『平田三五郎物語』の通称で知られる小説『賤のおだまき』で，慶長期（16世紀末）の薩摩を舞台に，美少年・平田三五郎と年長者・吉田大蔵という二人の武士の男色を描いた作者不明の作品である。そして『硬派』がこの小説の写本を『引張り合つて読む』という『ヰタ・セクスアリス』内の記述が大袈裟とは思えないほど，この作品は明治期の書生・学生たちの間で多くの読者を獲得していた。1884年には自由党系の小新聞『自由燈』に連載され好評を博し，その後も複数の版元から版本として出版されたのであった。その他，同じ平田三五郎らを題材とした山田美妙『新体詩華 少年姿』（1886年）や，1891年雑誌『都の花』57号に掲載された，やはり薩摩武士の男色を題材とした天囚居士（西村天囚）の小説『薩摩心中』など，この時期には男色を肯定的に扱う文学作品が複数作成された。こうした男色文学の流行からも，明治期の一部の男子学生の間で男色が肯定的な評価を受けていたことが窺われる。」
「では，この時期に男色を肯定的に支持していた男子学生たちは，男色に対してどのようなイメージを抱いていたのであろうか。〔…〕男色を『文武の奨励』や『国家への尽力』と結びつける発想〔…〕当時，男色を支持していた男子学生の多くが，このように互いの成長や大志の養成を期待できる関係として，男性同士の関係を男女間の関係よりも高く評価していたと考えられる。こうした認識は，明治期の男子学生たちのエリート意識とも合致したに違いない。
〔…〕一部の学生の間に，女色を遠ざけ，『智力の交換』『大志の養成』といった成長が期待できる男色関係，対等な男性同士の親密な関係性としての男色を理想視するという一種のファンタジーが共有されていたようだ，〔…〕このイメージにはある限界が伴っていた。その限界は，ここで共有されている理想的な関係が，小説などの文学作品という虚構の中でのみ成立しているという点にあった。
『賤のおだまき』と『薩摩心中』という二つの男色小説には，女性が小説中に一切登場せず，そして主人公二人が男色関係を保ったまま，若くして死んでしまうという，設定上の共通点が存在する。これらの共通点は，理想的な男色関係があくまで小説の中で作り上げられた虚構であったということを示している。二人がそのまま成長していたら関係はどうなったのか，妻帯はしなかったのか，女性が登場したらどうなっていたのか，そうした問いはこの小説中では一切問われることがない。『賤のおだまき』の二人は同じ合戦中に相次いで討ち死にすることで，『薩摩心中』の二人は武士の名誉を守るために心中することで，理想的な男色関係というファンタジーは維持されているのである。ここに，硬派学生の理想としての男色イメージの，大きな限界が存在していた。」
以上が、明治期、19世紀末までの男子「同性愛」の実態とそのイメージです。実態においては、機会的で一方的な性交――「鶏姦」――が多く見られ、取り締まるべき風俗として否定的に見られる一方で、武士道的・任侠的な「美少年」「稚児」嗜好が、継続的な共同関係として幻想され、また幻想のもとに性交渉が行なわれていたと言えます。
しかし、明治期末の 1900-1910年を境として、男子学生を中心に、同性愛のイメージにも実態にも、大きな変化が起きることになります。それは、男女学生間における「恋愛」概念の発生に影響された結果でした。これをもたらしたのは、“女学生の登場”という学校制度上の変革でした。
これまでの一方的・暴力的な「鶏姦」、また「硬派」的・任侠的な「稚児」愛好に代って、「軟派」的で親密な、同性の「恋愛」ないし「男色」が、学生をはじめとする同性愛の中心を占めるようになったのです。
そして、男女間における「プラトニック・ラブ」言説の登場と並行して、同性愛においても、それまでの肛門性交・「美少年」・任侠ファンタジーの圏域から、より曖昧で多彩な身体的睦みあい～“精神的”な「恋愛」に至るまで、広汎な周辺域をカバーする行為概念が成長してきたといえます。
「1899年の高等女学校令公布を契機として，20世紀に入ると高等女学校の学校数・生徒数は急激に増加した。高等女学校の生徒数は，中学校生徒数の増加を猛追するような形で増え続け，その差を縮めていったのである。〔…〕1900年代は，女学生が社会から存在を認識され，大きな注目を浴びながら急激にその数を増加させた時期であった。〔…〕
〔ギトン注―――先立つ 1890年代に〕透谷らが唱えた情熱的で神秘性を付与された『恋愛』概念は若年エリート層を中心に大きな衝撃を与えたものの，それは決して多くの人々が現実的に実行できる概念ではなかった。〔…〕次第に『恋愛』は結婚へとスムーズに接続する概念として，言わば無害化された『恋愛』へと馴致されていく。
このように，結婚に接続する新たな『恋愛』概念が普及したという変化には，男子学生の交際相手や恋愛対象として，それまでの芸娼妓や遊郭の女性などに代わり，学校による教育を受けた女学生が想定されるようになったことも深く関連しているであろう。〔…〕男子学生と女学生との間の『恋愛』は，結婚へと直結しうるもの，いやむしろ〔…〕結婚へと直結すべきものであった。
そしてこのような女学生の登場や『恋愛』概念の変化は，男子学生たちに，新たな幸福イメージをもたらすこととなったのである。
〔…〕男子学生にとって，以前は『家庭』は言説上の理想像でしかなかったが，恋愛対象，あるいは将来の結婚相手と想定しうる『女学生』の登場という新たな状況を迎え，事態は一変する。桂月らが記すとおり，この時期の男子学生は女学生の存在を通じて，将来の『スヰート，ホーム』を夢見ることが可能となった。〔…〕
以上のような『恋愛』と結婚の結合，あるいは『恋愛－結婚－家庭』という幸福イメージの形成が，学生男色のイメージに与えた影響は大きかった。〔…〕
女学生が登場した1900年代から，学生男色のイメージには大きな変化が訪れていた。この時期に特徴的なのは，学生男色が『男同士の恋』『同性の恋』などとも表現されるようになり，学生男色が硬派学生の占有物だとは認識されなくなってきたことである。
〔…〕文学少年たちが同級生や年下の少年に恋心を抱いたという話は，例えば太宰治など後の時代にも引き継がれる（太宰治『思い出』,初出1933）。ここにはもはや，『男色＝硬派』という認識はない。そして時代は下るが，1920(大正9)年に旧制府立二中に入学，寄宿舎に入った人物の回想には，『女人禁制の組織である。欠礼したとかにやけているとかで下級生に鉄剣制裁する硬派もあれば，チゴさん（一種の淡い男色）を作る軟派もある』というような記述が見られるのである（平岩通夫「在りし時代の寄宿舎生活」, in：『七十周年記念誌』,東京都立立川高等学校,1971,p.67）。
ここに至り，男色はもはや硬派ではなく軟派が行うこととされ，認識が180度逆転している。〔…〕
『恋愛』が結婚や家庭の形成と結びつくことによって初めて，男女間の『恋愛』には同性間の『恋愛』とは異なる大きな特権が付与されることとなったのである。『結婚』を後ろ盾とする異性間の『恋愛』が，同性間の『恋愛』にない正統性を獲得していく過程は，言わばヘテロセクシズムの制度化とも言うべき現象であった。このように制度化されるヘテロセクシズムにより，同性間の恋愛は『まがい物』として周縁化されていったのである。
〔…〕男子学生の異性愛の相手として相応しい女学生という実体が登場したことで，ヘテロセクシズムは男子学生の世界においてもより広範な影響力を持ちうるようになったのである。実際『中央公論』や『中学世界』誌上においても，こうした女学生との交際や恋愛については，肯定的に評価する意見も少なからず登場している。そしてここで従来の『学生男色』が，この新しい男女交際へのアンチテーゼとして持ち出されることは，もはやなかった。」
鎌倉、材木座海岸 直哉と弴の“出会い”の場所
以上で予察を終え、志賀直哉‐里見弴の関係を考察する本論に入ります。
【３】“あこがれ”―――里見12-14歳、志賀16-18歳
「一体に君｛志賀直哉｝は、可愛いゝ顔をした無邪気な少年として、俊之助兄｛里見弴の次兄・有島生馬｝の親しい友達として、私のうち｛有島家｝の誰からも愛されてゐたやうに思ふ。〔…〕
私｛里見弴｝が 11,2の夏｛1899年か｝、君は鎌倉の別荘へ俊之助兄｛有島生馬｝を訪ねて来た。私は川岸に立って君たちの游〔およ〕ぎ遊ぶのを眺めてゐた。滑川の橋には、中央のところで両側に突き出た桟があった。そこの尖から君たちは宙がへりや逆下で水のなかへ飛び込んだ。『背後（うしろ）宙返（ちうがへ）りの方がやさしいんだつてけれど、僕は前の方がこはくないや』こんなことを云つて、君は何遍も裸で橋の上へ登つて行つた。その時一緒にゐた人のなかで君が一番上手だつた。私は見てゐてすつかり感心して了つた。エラいなアと思つた。」
「君と私」, in：『里見弴全集』,第１巻,1977,筑摩書房,pp.87-88.
「鎌倉の別荘」は、里見の有島家の別荘で、鎌倉市・滑川河口付近にあった小さな百姓家を、有島武（里見の父）が買い取ったものでした。有島一家は、1893年（弴6歳）武が大蔵大臣と衝突して退官したあと、ここに居住しましたが、翌年東京赤坂に転居し、鎌倉の家は夏の別荘として使用しました。
1899年ころ、その別荘に、弴の次兄・壬生馬の同級生だった志賀直哉らが訪ねてきて、いっしょに水泳をしたのが、里見の記憶に残る直哉との最初の“出会い”です。
当時、志賀直哉は 16歳、志賀家の書生「末永馨」と、また自邸（麻布三河台町、現・六本木4丁目）近くの路上で出会った青少年と、同性性愛を「自由に行なって」「習慣」になっていました（後述）。滑川橋から河口に飛び込む直哉の裸体は、４歳年下の里見弴には輝いて見えたことでしょう。
当時、中学生までの男の子が川などで泳ぐときは、全裸がふつうで、水着はもちろん、ふんどしもしませんでした（↓写真参照）。
もっとも、有島家、志賀家のような資産家の上流家庭の子弟は、高価な水着をあてがわれて着けていたかもしれません。
この年代、1901年に内村鑑三のもとでキリスト教に入門（18歳）するまでの志賀直哉は、スポーツ万能の少年で、またたいへんにオシャレで贅沢だったと、級友だった人びとは述べています。半面、女性の前では言葉が出なくなってしまうほど含羞(はにか)み屋で、どちらかといえば“硬派”であったと言えます。末っ子で“軟派”の里見弴とは対照的だったかもしれません。
もりおか歴史文化館
「たしか私が14になる春休｛1900年?｝だつた、鎌倉の方で病後を養つてゐた俊之助兄｛有島生馬｝を見舞がてら、君や黒田君が泊りがけで別荘へ来てゐた。或る朝、私とすぐ上の金造兄とが庭へ出てキャツチ・ボオルをしてゐるのを、君たちはまだ寝床のなかにゴロ＼／しながら眺めてゐて、〔…〕その時私は君が見てゐるんだからうまくやらうと思つた。〔…〕それが運動事のなんでも得意であつた君の賛詞を得ようがためであつたか、或は君に対して男同士の恋を感じてゐたためであつたかははつきりしない。何しろその頃は一般学生の間に男同士の恋がヒドく流行つてもゐたし、私もそれに浮身をやつしてゐた。近頃その自分の日記を披いて見て驚いたくらゐ、あらゆる頁に同性に対する愛情が愬〔うつた〕へられてゐるが、そのうちには君の名を見出すことは出来なかつた。然し君が泊つてゐた二日とか三日とかの短い間だけでも、君に惚れて（言葉は可笑しいが、）ゐたかも知れない。
若しさうとすれば、この恋の成らなかつたのは私にとつて大変な幸であつた。少しでもそんな関係に這入つたならば、私は今日の私ではあるまい。」
「君と私」, in：『里見弴全集』,第１巻,1977,筑摩書房,p.88.
現在では考えられないくらい、当時の中学生（旧制）のあいだでは、同性の「恋愛」がさかんでした。「女学生」が登場したと言っても、男女別学で、じっさいに接する機会は少なく、小説などから夢見る「恋愛」を実行する相手としては、同性が身近だったのです。また、《恋愛‐結婚》という概念結合も、まだ登場したばかりで固定したものではなく、まだ“社会的標準”ないし“正常性”の地位を獲得してはいませんでした。そうした過渡期的状況から、学生一般に「同性愛」への抵抗が少なかったのでしょう。
他方、「鶏姦」と言われるような、路上など（現在で言えば「発展場」）での行きずりの青少年との同性性行為は、盛行する地域が特定していました。東京では、麹町、麻布など（斉藤巧弥「明治期の新聞における『鶏姦』報道の特徴」PDF）。まさに、志賀邸、有島邸をはじめとする資産家の屋敷が集中していた地域が、路上同性愛の舞台だったのです。おそらく、性欲充足を求める資産家子弟の多い地域へ、「かま」提供による対価を求めて中流以下の青少年が集まったのではないでしょうか。
じっさいに、志賀直哉の場合には、そうした機会を日常的に利用していたと思われます。４歳年下の弴が、1900年以後の「恋愛」世代に属するのとは対照的に、直哉には、明治期の「鶏姦」「稚児」文化の影響が濃く残っていたのです。
志賀直哉は、阿川弘之著の伝記によると、
「著者〔志賀直哉――ギトン注〕自身作品の中で何度か、それとなく告白してゐる『男同士の恋』についても、触れておくのが順序であらう。
もっとも初期の相手は有島生馬、本名壬生馬である。直截は中等科１年生〔12歳――ギトン注〕、母を亡くしたあとの淋しい時期だつたせゐもあらうが、一つ齢上の此の友が好きで、一人でゐる時など、しきりに壬生馬のことを想つたといふ。胴締めの裏には、有島の名前が、誰にも読めない隠し文字にして、書きこんであつた。」
阿川弘之「志賀直哉」, in：『阿川弘之全集』,第14巻,1977,新潮社,pp.125-126.
阿川伝記では、志賀の壬生馬に対する「愛」は、「完全にプラトニックなもので終」ったとされていますが、当時の男子学生一般の状況を考えれば、そのまま受け取れないような気もします。里見弴は、兄・壬生馬と志賀直哉のあいだの非常に親密な関係をまぶしく感じており、嫉妬していたようです。後年、齢をとってからの回想談でも、志賀が「自分ではなく兄とつきあっていたのがつらかった」と述べているほどです。
“あこがれ”の対象である直哉に近づこうとしても、兄が邪魔になって近づけず、悩むようすを、『君と私』の何か所かで描いています。弴が直哉に近づいてゆくのは、壬生馬が欧州留学のために家を空けた数年間のことなのです。
「別の男友達との間柄となると、必ずしもプラトニックではなかつたやうに見える。
『教へに接する〔1901年[18歳]夏に、内村鑑三のもとでキリスト教に入門したこと―――ギトン注〕までの三四年間に男同士の恋で自由を行（おこな）つて来た、その習慣からも姦淫は私にとつて殆ど唯一の誘惑になつてゐた』(『大津順吉』)
『男色流行の時代で、学生同士のさういふ関係には皆も殆ど無関心だつたが、Ｓはその頃の言葉で、「キャッチ」といふ、夜、自家に近い九段坂の上に出て、通る少年に、悪い事をするといふ噂があつた』(『人を殴つた話』)
また、『濁った頭』の語り手『私』は、齢上の女からいきなり横倒しにされ、接吻を強要されて、別段抵抗もしなかつた自分に関し、次のやうな告白をする。
『女との関係では嘗つて、かうした事はなかつたけれども、基督教に接する以前に男同士の恋で度々経験した事だつたからでせう』」
阿川弘之「志賀直哉」, in：『阿川弘之全集』,第14巻,1977,新潮社,p.126.
小説『人を殴つた話』は、「キャッチ」の同性性交や、女学校の門前で見初めた女学生を待ち伏せる、というようなことを繰り返している「Ｓ」という同級生を、懲らしめのために殴るという話です。しかし、志賀邸のあった麻布三河台（現・港区六本木4-3-13）は、九段坂からはかなり離れています。この小説では、「Ｓ」の自宅は「幸町」とされていますが、そういう町名はありません。
志賀家が、麻布三河台に邸をかまえる前の自宅は、麹町区内幸町1丁目（現在の内幸町。新橋駅付近）にありました。そこから考えると、「Ｓ」は志賀が自分のことを書いたと見ることはできます。阿川弘之は、生前の志賀直哉の親しい弟子で、小説のモデルや背景については、志賀から聞いて知っていたと思われますから、上の「Ｓ」＝志賀直哉という記述は信じてよいでしょう。
鎌倉、滑川河口にかかる滑川橋
志賀直哉の長篇『暗夜行路』では、主人公・謙作が、街で見初めた女性（のちに謙作の妻となる）に近づく方法を考えあぐねる場面で、↓つぎのように書かれています。
「彼は彼の或る古い友達が、さういふ機会を作る為めに其人の家の前で、故意に自分の自転車を動かせない程度にこはし、その家に預かつて貰ひ、翌日下男を連れて取りに行き、段々に機会を作つて行つた話などを憶ひ出した。」
阿川伝記によると、阿川が生前の志賀に、「これは実話ですか」と訊いたところ、志賀は、
「『実は自分の経験なんだ』と話してくれた。
『ひとの稚児を取るために、僕自身がやつたことなんだよ』」
阿川弘之「志賀直哉」, in：『阿川弘之全集』,第14巻,1977,新潮社,p.127.
以上から、志賀直哉の同性愛は、ひとつには、路上の青少年の「キャッチ」による行きずりの性交、ひとつには、学校（学習院中等科）の同級生、上・下級生との身体の関係を伴う「恋愛」だったことがわかります。それら以外に、自家の書生との関係はどうだったのでしょうか？ 最初に同性性行為の“手ほどき”をしたのは、やはり書生ではなかったかと思われるのです。
しかし、志賀家の書生「末永馨」については、“内村入門後”の次節で、まとめて述べたいと思います。
ばいみ～ ミ
彡
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