09/30の日記

11:39
【宮沢賢治】ゼロからのエクリチュール(3)

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こんにちは_^)ノ





まず、きのうの最後に掲出した「アンデルゼン白鳥の歌」(ただし、保阪宛て書簡掲載の初期形)を、もう一度見ておきたいと思います:


「『聞けよ。』又月は語りぬやさしくもアンデルゼンの月は語りぬ。

 みなそこの黒き藻はみな月光にあやしき腕をさしのぶるなり。

 ましろなるはねも融け行き白鳥は群をはなれて海に下りぬ

 わだつみにねたみは起り青色きほのほの如く白鳥に寄す

 あかつきの瑪瑙光ればしら\/とアンデルゼンの月は沈みぬ。

 白鳥のつばさは張られかゞやける琥珀のそらにひたのぼり行く」



☆(注) 参照:H.C.アンデルセン『絵のない絵本』「第二十八夜」(Katokt氏訳⇒第二十七夜



これを、アンデルセンの原著と比較しますと、平澤氏の指摘には無いのですが3番目の歌の


 「はねも融け行き」


も重要だと思います。ここは、原著では、


「大空たかく野生の白鳥が、群をくんでとんでいます。と、そのなかの一羽が力おとろえ、だんだんひくくおりてきました。」(川崎芳隆・訳)


とあります。白鳥の羽根が「融け行き」たというのは、賢治の創作です。




羽根を羽ばたく力が衰えてゆくようすを「融け行き」と表現しているわけですが、アンデルセンは、このような“幻視”的な表現をしません。しかし、宮沢賢治の《心象スケッチ》には、この種の表現───単なる表現という以上に、幻視的な“現実”を看取した記述───が頻出します。



とくに、平澤氏の指摘にしたがって『春と修羅』の4行詩「岩手山」を参照するならば、この「融け行き」という“心象風景”観察の手法が、『春と修羅』以後の《心象スケッチ》を準備するものであったことは歴然としていると思います。










この連作短歌について、もうひとつ指摘しておきたいのは、のちの『春と修羅・第2集』にある「暁穹への嫉妬」との素材の類似性です。


「暁穹への嫉妬」、およびその文語詩形「敗れし少年の歌える」については、この《あ〜いえばこーゆー記》の最初のころに、しつこいくらい詳しく鑑賞しましたから(笑)、覚えていらっしゃる方もいるかもしれません(⇒暁穹への嫉妬 敗れし少年の歌へる


「薔薇輝石や雪のエッセンスを集めて、

 ひかりけだかくかゞやきながら

 その清麗なサファイア風の惑星を

 溶かさうとするあけがたのそら」



で始まる「暁穹への嫉妬」は、「清麗なサファイア風の惑星」が、明け方の薔薇色の空に溶けて消えてしまうのを悲しみ嘆く作者のロマンチックな心情が主題になっています。


「さっきは
〔…〕

 星はあやしく澄みわたり

 過冷な天の水そこで

 青い合図(wink)をいくたびいくつも投げてゐた」

「ぼくがあいつを恋するために」

「滅びる鳥の種族のやうに

 星はもいちどひるがへる」



といった表現には、単なる星空の観照を越えた、恋愛のような切なさが溢れています。

また、それと同時に、「あやしく」という、「アンデルゼン白鳥の歌」で、白鳥に対する月と海(「わだつみ」)の「ねたみ」を表していた語が、ここでも顔を出しています。



この「サファイア風の惑星」(青い星)については、作者の同性愛的な恋愛の対象を暗示している──女性を象徴する「薔薇輝石」の空に、作者の少年のような恋愛対象が捕えられ消失しようとしていることを悲しんでいる──というところまでは、作品群「暁穹への嫉妬」から読み取れたのでした。しかし、具体的にどんな人を‥「少年」を指しているのか‥といったことは、まったく分かりませんでした。


そして、ともすれば、この“青い星”を、亡き妹トシの面影と解釈してしまう傾向に対しても、いまひとつ説得的な反論ができませんでした。



しかし、いま、この作品群が暗に前提している旧作───一種の“本歌取り”───として、「アンデルゼン白鳥の歌」を考えてみますと、両者のあいだには偶然とは思えない一致が見出されます:


@ “青い星”が、明け方の薔薇色の空に融けてしまうという「暁穹への嫉妬」の情景は、明け方の「瑪瑙」(桃色)の空に月が沈み、白鳥は琥珀色の空に飛び出てゆく「白鳥の歌」の描写に対応する。

A どちらでも、「あやしく」「あやしき」という語が、唐突に使われている。


そこで、「暁穹への嫉妬」を、「アンデルゼン白鳥の歌」の“本歌取り”と考えることができるならば‥、

「サファイア風の惑星」(青い星)は、「白鳥の歌」の「わだつみ」に起こる「ねたみ」を象徴する「青色きほのほ」★に対応することになります。


★(注) 「青色き」は、『歌稿A』#695 では「青白き」。書簡の「青色き」は、誤記か?



つまり、こう考えられます。

宮沢賢治にとっては、「ねたみ」「嫉妬」といった感情は、決して、否定されるべき・うとましい対象ではなかった───少なくとも一方的にそうではなかった。かえって、彼にとっては、「清麗」な、愛すべく惜しむべき対象でさえあったということです。

「ねたみ」「嫉妬」こそは、若々しい気負いと熱意の現れ、あるいは、少年の純な気持ちの発露である───と言ったら分かりやすいでしょうか。。。



そして、「アンデルゼン白鳥の歌」は、保阪との間で、共有された心情の確認として交わされています。「ねたみ」「嫉妬」は、保阪のものであると同時に、これを書いた賢治のものでもあるのです。


「アンデルゼン白鳥の歌」が書かれた1918年当時、保阪との間で「ねたみ」あい、「嫉妬」しあった同性愛的愛憎の日々が、「暁穹への嫉妬」を書き下ろした1925年の段階では、

忘れようにも忘れられない貴重で切ない思い出、もはや取り戻すことのできない心奥からの愛惜の対象となっていたのです。




すなわち、愛惜の対象である「サファイア風の惑星」は、かつての保阪であり、賢治自身であった◆と言えます。

◆(注) 保阪嘉内は1925年3月に結婚していますが、「暁穹への嫉妬」の日付である1月6日の時点では、宮澤賢治は嘉内の結婚について知らなかったと思われます。しかし、賢治詩の日付は、最初の着想があった時点であるのがふつうですから、推敲の途中で、保阪から、結婚と帰郷・営農を告げる挨拶状を受け取ったことが考えられます(その返事と思われる同年6月25日付の賢治の手紙が残っています)。この点も考慮すると、“青い星”とは、結婚した保阪に対する自身の嫉妬心、あるいは、前年に結婚した同僚・堀籠氏などに対する複雑な感情も含んでいるかもしれません。




これは、賢治作品に著しく多面的な姿で現れる「青」という色の“謎”を解明する手がかりになるかもしれません。














連作短歌「アンデルゼン白鳥の歌」の内容については、このくらいでいいでしょう。


重要なことは、

@のちの《心象スケッチ》につながるさまざまな手法・局面が現れていること、Aにもかかわらず、形式を見れば、これはいまだ短歌の連作であること、そして、Bこれが、保阪との往復文通の中で◇、文学的内容を理解しあう仲間どうしの作品によるメッセージとして書かれたことです。


つまり、Bの点から、いまだ不特定多数の読者に向けられた“作品”として意識されてはいないことになります。

◇(注) 『新校本全集』の校異によれば、書簡冒頭の「『私は求めることにしばらく労れ、』と書いたと思ひます。但し‥」は、先立つ1918年12月10日付の書簡に対応しており、賢治が「私は求めることにしばらく労れ、」と書き送ったのに対する嘉内の反応(おそらく、多かれ少なかれ賢治の趣旨を誤解しての反論)に対して、この書簡で弁明しているやりとりとも考えられます。






ばいみ〜 ミ彡  


  
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カテゴリ: 宮沢賢治

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