06/09の日記

08:33
【オーデン】ある晩ふらり外に出て

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パブロ・ピカソ『ゲルニカ』(レプリカ───Wikimedia comons により著作権許容済み)











こんにちは。。。





 まえに、ホブズボームの『20世紀の歴史』で、オーデンの詩「スペイン 1937」の一節を紹介しましたが、


このスペインの内乱(スペイン市民戦争)については、当時パリにいた画家ピカソも、大作『ゲルニカ』で、ナチス政権のドイツ空軍に爆撃されたスペイン(バスク)の町ゲルニカを描いて抗議していました。










↓つぎの詩は37年9月の作。おそらくスペインの戦場から帰ってきた直後のものでしょう...







   As I Walked Out One Evening   (W. H. Auden)


  (ある晩ふらり外に出て    W.H.オーデン
                 岩崎宗治・訳
〔一部改〕





 ある晩ふらり外に出て
  ブリストル・ストリートを歩いていた、
 歩道の上の群衆は
  みのった麦の畑だった。


 あふれんばかりの川に沿う
  高架線のガード下で
 恋する男が唄っていた──
  「恋は永遠のもの。


 「心からきみを、きみを愛す。
   中国とアフリカが一つになり
  川が跳びはねて山を越え
   鮭が街で歌う日まで。


 「きみを愛す、大海原がたたまれて
   物干し竿にかけられる日まで、
  七つ星が雁のように
   鳴いて空をわたる日まで。


 「歳月は兎のように駆けさせろ、
   ぼくは〈世紀の花〉と
  世界でいちばんの愛を
   この手にかかえているんだ」


 だが、街の時計という時計が
  時を打ちはじめ、そして言う──
 「〈時〉を甘く見るな、
   〈時〉は征服できはしない。


 「悪夢のあなぐらには
   正義の女神が裸でいるが、
 〈時〉もやはり暗がりからそっと見ていて
   きみがキスしようとすると咳ばらいする。


 「頭痛や悩みといった姿で
   いつとはなく生命(いのち)は洩れていく、
  いずれは〈時〉も気が変わる──   
   あすあたり、それともきょうか。


 「遠く連なる緑の谷に
   寒気と雪が舞い降りる。
 〈時〉は美しい舞踏の輪を断ち切り、
   ダイヴィングの見事な抛物線をかき消す。


 「ほら、水に手を入れて
   手首まで水に入れて
  ほら、水鉢のなかをじっと見つめて
   考えてごらん、何をとり逃がしたのか。


 「氷河が戸棚のなかでぶっつかり
   砂漠がベッドで嘆息、吐息、
  紅茶茶碗のひびわれは
   死者の国へとつづいている。


 「そこでは乞食が札束ばらまき、
   大男に魔法をかけられたジャック、
  その白百合の少年はぜいぜい喘ぎ、
   ジルは倒れる、仰向けに。


 「そら、ごらん、ごらん鏡を、
   きみの苦境をのぞいてごらん
  人間はいまも至福なのさ、
   たとえ幸福だと思えなくとも。


 「ほら、窓ぎわに立ってごらん──
   熱い涙があふれるときは。
  ねじ曲がった隣人を愛するのだ、
   きみのねじ曲がった心で」


 時は過ぎ、夜はふけていた、
  恋人たちはもういなかった。
 時計ももう打たなかった。
  川水は深く、深く、流れていた。













 As I walked out one evening,
  Walking down Bristol Street,
 The crowds upon the pavement
  Were fields of harvest wheat.

 And down by the brimming river
  I heard a lover sing
 Under an arch of the railway:
  'Love has no ending.

 'I'll love you, dear, I'll love you
  Till China and Africa meet,
 And the river jumps over the mountain
  And the salmon sing in the street,

 'I'll love you till the ocean
  Is folded and hung up to dry
 And the seven stars go squawking
  Like geese about the sky.

 'The years shall run like rabbits,
  For in my arms I hold
 The Flower of the Ages,
  And the first love of the world.'

 But all the clocks in the city
  Began to whirr and chime:
 'O let not Time deceive you,
  You cannot conquer Time.

 'In the burrows of the Nightmare
  Where Justice naked is,
 Time watches from the shadow
  And coughs when you would kiss.

 'In headaches and in worry
  Vaguely life leaks away,
 And Time will have his fancy
  To-morrow or to-day.

 'Into many a green valley
  Drifts the appalling snow;
 Time breaks the threaded dances
  And the diver’s brilliant bow.

 'O plunge your hands in water,
  Plunge them in up to the wrist;
 Stare, stare in the basin
  And wonder what you’ve missed.

 'The glacier knocks in the cupboard,
  The desert sighs in the bed,
 And the crack in the tea-cup opens
  A lane to the land of the dead.

 'Where the beggars raffle the banknotes
  And the Giant is enchanting to Jack,
 And the Lily-white Boy is a Roarer,
  And Jill goes down on her back.

 'O look, look in the mirror,
  O look in your distress:
 Life remains a blessing
  Although you cannot bless.

 'O stand, stand at the window
  As the tears scald and start;
 You shall love your crooked neighbour
  With your crooked heart.'

 It was late, late in the evening,
  The lovers they were gone;
 The clocks had ceased their chiming,
  And the deep river ran on.











訳者は、


「これは、破壊的要素のなかの愛の詩なのだ。」


と解説していますが、たしかに‥




前半は、都会のゴミ溜めのような「高架線のガード下」で、傍若無人に抱き合う異性愛の男女を思わせます。





そして、作者は、彼らを風景の一部のように見つめながら:

↓何度読んでも、いちばん感銘が深いのは、この連なのです。。。





 「ほら、窓ぎわに立ってごらん──
   熱い涙があふれるときは。
  ねじ曲がった隣人を愛するのだ、
   きみのねじ曲がった心で」




ここには、

宵の街角で「恋する男」が唄う──「恋は永遠のもの。//心からきみを、きみを愛す。‥」などよりも、よほど深い“愛”が感じられるように思います。





最後の連の:



 時は過ぎ、夜はふけていた、
  恋人たちはもういなかった。
 時計ももう打たなかった。
  川水は深く、深く、流れていた。



は、宮沢賢治の:



  媼ゐてむすめらに云ふ
  恋はしもはじめくるしく
  やがてしも苦きものぞと
  にれやなぎおぐらき谷
  まくろなる流れは出でて
  こらつどひかたみに舞ひて
  たんぽゝの白き毛をふく  
(「北見」)



などを想起させます。





これは、同性愛にふさわしい愛の形───“ゲイ・テイスト”なのでしょうか?

(もちろん、“真黒で暗い”だけではありません。そこには無心な子どもたちが集い、輝かしく透きとおった風の中で、やわらかなタンポポの冠毛を飛ばしているのです。)









そういえば:




 「悪夢のあなぐらには
   正義の女神が裸でいるが、
 〈時〉もやはり暗がりからそっと見ていて
   きみがキスしようとすると咳ばらいする。




↑この超自然的な存在から発せられる「咳ばらい」も、賢治詩にしばしば現れます:



  かはばたで鳥もゐないし
  (われわれのしよふ燕麦(オート)の種子(たね)は)
  風の中からせきばらひ
  おきなぐさは伴奏をつゞけ
  光のなかの二人の子    
(「かはばた」)










同性愛の営みは、いつも、とりまく〈世界〉との間に、微妙で危うい均衡を保っています。“うしろゆび”で指弾を受けるという恐れか,... 共感も遠慮もない好事家的な視線か,...


“ふたりだけの世界”も、“ふたりのためにある世界”も、そこにあったためしはなく、

愛を“叫ぶ”場所は、世界の中心などではなく、いつも世界のはずれなのです。。。


















ばいみ〜 ミ



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カテゴリ: ユーラシア

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