ゆらぐ蜉蝣文字


第9章 《えぴ》
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9.2.4


『春と修羅』は、賢治が恋人「嘉内へ向けて送りつづけたメッセージであった」────という菅原さんの大胆な主張は、研究家の間ではあまり評判がよくないのかもしれませんが(研究屋がいくら首をひねったって解るわけね〜よ!と言ってるようなもんですからね〜w)、

ギトンは、その洞察の深さと意外さに、むしろ非常な感銘を受けましたし、‥その後じっさいに新しい発見があるたびに、菅原さんの見方の正しさを、改めて認識することになりました。

ただ、ギトンとて、『春と修羅』《初版本》が、特定のひとりにだけ読ませようとして出版されたとは思っていません。
誰に「宛てて書かれた」かということと、それを誰に「読んでもらおうとした」かということは、同じである必要はないと思うからです。

もし、《初版本》が、恋人に宛てて内密な表現で書かれたラブレターだとしたら、むしろ、私たち読者は、それを何とか読み解いて、メッセージの内容を共有したいと熱望するのは、自然なことではないでしょうか?

賢治がここで使っている“内密の言語”は、決して暗号のようなものではなく、一部は文芸誌『アザリア』でも使用された一種の“象徴体系”であって、それは──日本の伝統的な文学言語とは全く異なるにしても──一定の“読み込み”を厭わない読者との間では、りっぱに共有しうる文学的言語であったと考えるのです。

さて、そこで、さきほどから検討している:

. 春と修羅・初版本

77 (ほんたうの鶯の方はドイツ讀本の
78  ハンスがうぐひすでないよと云つた)

ですが、

『独文読本』の引用の箇所が、盛岡高等農林で教えられていたか、あるいは、東京のドイツ語講習会で賢治が習ったのを保阪に語るかしていたとすれば、
保阪は、この2行を見ただけで「マヒワとウグイス」の話に思い当たったはずです。

↑憶測に過ぎないと思われるかもしれませんが、賢治が、このような唐突な形で「ドイツ読本の‥」と書いていること自体、これを見ただけで意味の解る読者がいることが前提でなければなりません。

そして、それに重ねて、「ハンス」という名前が、同様の寓意をもつアンデルセンの童話『うぐいす』を想起させます。

そうすると:

74ずうつと遠くのくらいところでは
75鶯もごろごろ啼いてゐる
76その透明な群青のうぐひすが
77 (ほんたうの鶯の方はドイツ讀本の
78  ハンスがうぐひすでないよと云つた)

このパッセージ全体は、次のように理解することができるでしょう:

ここでは、「ずうつと遠くの」暗がりで「ごろごろ啼いてゐる」「透明な群青のうぐひす」、そして、アンデルセン童話や『独文読本』の・目立たない本物のウグイスが、

羽がきれいでケバケバしい派手なマヒワ──つまり、オリーブ色の背広の「農学士」のような小綺麗なエリート──と比較されているのです。エリートは、歌が全然歌えなくても、見た目がキレイで目立つ(よく見るとケバケバしいのですが)というだけで、世間で持てはやされます。“賢い歌がうたえる”かのように見られ、敬われます。

しかし、ほんとうに美しい歌が歌える小鳥──「ほんたうの鶯」──は、けっして、きれいな見た目はしていないものなのです。そのために、世間の人からは、「うぐひすでないよ」と言われ、さげすまれ、「羽を見ただけで、賢い歌なんか何ひとつ歌えないことが、すぐに判るね。」などと決めつけられてしまうのです。

それは、ありあまる才能を持ちながら、故国では学歴がないために認められず、外国から外国へと放浪したアンデルセンの自画像であったにちがいありません。おそらく、宮沢賢治の自画像でもあったし、保阪嘉内との間にも共通する思いがあった(すくなくとも、賢治はそのつもりだった)と思われるのです。

ただ‥、この『独文読本』のパラグラフに込められた賢治と嘉内の“内密の言語”は、これだけにとどまるものでもないかもしれません。さらなる内容が込められているかもしれないのです。。。

以下、やや読み込みすぎになるかもしれませんが、わずかな手がかりから、思い切って掘り下げてみたいと思います。
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