ゆらぐ蜉蝣文字


第8章 風景とオルゴール
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8.4.17


『よだかの星』は、賢治の《熱した》精神の時代の重要な作品です。そこでは、“自己犠牲”が重要なテーマになっていると言われています。

そうすると、「青い星」のモチーフは、宮沢賢治が、《熱した》精神から距離を置いた後においても、《熱した》精神の時代を象徴するもの──「透明なもの 燃えるもの/息たえだえに気圏のはてを/祈ってのぼって行くもの」(小岩井農場・第六綴)──として現れてくるのではないかと思われるのです。

さらにそれ以前に遡ると、保阪嘉内の↓つぎのような高等農林時代の短歌があります:

「大空がわれを見つめる、これはまた、おそろしいかなその青い眼が、」

「七月の大空だよと、あんまりに、われを怒るな、すごき眼をして」

「うっかりと嘘言(ウソ)をいひたり、七月の青空の眼の見てゐぬ暇に」

この《大空の青い眼》について、嘉内と賢治の間には共通の了解があったはずです。それは、人間界を見下ろす「まことのひと」の「でっかい青い眼」なのでした☆

☆(注) 菅原千恵子『宮沢賢治の青春』,角川文庫,pp.56-57.






. 春と修羅・初版本

53電線と恐ろしい玉髄(キヤルセドニ)の雲のきれ
54そこから見當のつかない大きな青い星がうかぶ
55   (何べんの戀の償ひだ)

こうして、「青い星」は、1918-21年の《熱した》精神につながるイメージの一つであり、そこには保阪嘉内と“理想”を追い求めた日々も列なっていたわけですが、
しかし、すでに見てきた“ほのお”“ひのき”“崇敬の照り返し”などのモチーフとは、やや異なる面が感じられます。

「青い星」「青い眼」には、青年らしい純粋さを求める心性が、より強く現れているかもしれません。感覚的に言って、《熱い》パトスよりも、‥むしろ冷厳な印象さえあります。
それだから、このモチーフは、のちのちまで棄てられずに生き残ったのかもしれません。

しかし、あとになるほど、《熱した》精神のファナティックな衣は切り捨てられて行ったでしょうし、モチーフの意味自体が変遷して行くかもしれません。。

↑上に引用した『銀河鉄道の夜』でも、【初期形三】で3ヶ所にあった「琴の星」は、その後の推敲過程で削られて、【最終形】では1ヶ所のみ(ジョバンニの“昇天”の場面)となっています。

そこで、現存する最も早い時期の草稿【初期形一】(1924年中?)を見ますと、残念ながら「天気輪の丘」の章は残っていないので、そこの「琴の星」がどうなっていたかは分からないのですが、タイタニック号の遭難者らも加わった“銀河の旅”の途中で、「琴(ライラ)の宿」が登場します:
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