ゆらぐ蜉蝣文字


第8章 風景とオルゴール
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8.4.13


. 春と修羅・初版本

38風が口笛をはんぶんちぎつて持つてくれば
39  (氣の毒な二重感覺の機關)
40わたくしは古い印度の青草をみる
41崖にぶつつかるそのへんの水は
42葱のやうに横に外(そ)れてゐる

さっきから、字下げ( )付きの行は、深刻な意識の葛藤をうかがわせますが(もっとも、もはや【第7章】までのように、相克する意識がストレートに発言することはありません)、本文(字下げのない行)は、どこか戯けて楽しそうです。「過透明な景色」への陶酔が、そうさせるのでしょうか。

風の中から「口笛」が聞こえてくるというのも、そうです。おそらく、作者自身や通行人の口笛などではなく、風景そのものから聞こえてくる「口笛」の音なのだと思います。53行目にある「電線」の鳴る音かもしれません。

「古い印度の青草」は、忍冬唐草(アラベスク)紋様のことでしょう。唐草文様のように絡み合った草が、川岸の崖に生えているのだと思います:画像ファイル・唐草模様 画像ファイル・アラベスク

崖にぶつかった川水の波頭が白っぽく泡立って、「葱のように」──白と緑のよじれを描いています。
全体に、強い風が吹いている風景です。





43そんなに風はうまく吹き
44半月の表面はきれいに吹きはらはれた
45だからわたくしの洋傘は
46しばらくぱたぱた言つてから
47ぬれた橋板に倒れたのだ

「うまく吹き」と言っていますが、そうとうの強風です。いままで間接的に想像するだけだった風のようすが、直接描かれてきました。

「半月の表面はきれいに吹きはらはれた」:とがった「6日の月」は、強風に磨かれて、輝きを増していますが、作者のコウモリ傘は、風に飛ばされて、木橋の上に落ちて踊っています。

ちぎれたような鋭い「口笛」は、意識の葛藤によって引きちぎられた内心の風景です。──からみあう「古い印度の」仏典の「青草」、「横にそれて」ねじれる波頭──苦しそうに暴れてから倒れた洋傘──月が磨かれて光っている下では、“悪魔の舞踏”のような光景が現出しているのです。

48松倉山松倉山尖つてまつ暗な悪魔蒼鉛の空に立ち

松倉山を「尖つてまつ暗な悪魔」と呼んでいます:画像ファイル・渡り橋→志戸平、松倉山

「蒼鉛」は、原子番号86番元素・ビスマスの和名です。ビスマスは、淡く赤みがかった銀白色の金属でして、鉛色でも青でもないのです。この写真のようなギザギザした多結晶のイメージです:画像ファイル・蒼鉛
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