ゆらぐ蜉蝣文字


第8章 風景とオルゴール
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8.4.3


次の作品【79】「風の偏倚」では、51行目で:

. 春と修羅・初版本

51雲の遷色とダムを超える水の音

とあって、ダムの近くを通り、【80】「昴」では、作者は電車に乗って山を下っています:

. 春と修羅・初版本

08山を下る電車の奔り

そうすると、[地図:大沢温泉〜松原]を見ると分かるように、作者は、大沢温泉方面から歩いて来て、“渡り橋”を渡り、志戸平温泉を通り越して、松原発電所(ダム)まで歩いています。電車に乗ったのは“松原”停車場と思われます。

この鉛街道が、豊沢川を渡る橋は、“渡り橋”1ヶ所しかありませんから、このルートでまちがえないと思われます。

松原発電所は、地元の資産家らが花巻電気株式会社を設立して建設した出力50kWの小規模な発電所で、1912年営業開始しました:8.1.21 松原発電所跡

532戸に電燈の電力を供給したほか、余剰電力で、軌道電車を走らせていたのです。

. 画像ファイル/地図:花巻電鉄 Wiki: 花巻電気軌道

当時の時刻表によると、夕方の上り花巻行きは、終電車1本しかなく、大沢温泉 19:05発、松原 19:26発、花巻 20:17着でした☆

☆(注) 栗原敦,op.cit.,p.94.

先日、ギトンが歩いたタイムでは、大沢温泉から松原まで、約3時間かかっています。昔の人のほうが足が強かったと思いますから、賢治は、もっと速く歩いたでしょう。したがって、大沢温泉を出発したのが、17時〜17時30分頃、“渡り橋”通過が、17時30分〜18時頃でしょう。

この日(1923年9月16日)、花巻市松原(39.4N 141.0E 130.1H)の日没時刻は、17時47分です。

したがって、日没時刻前後に大沢温泉〜志戸平間を歩いていることになりますが、谷間ですから、日はもっと早く山稜に沈んでいるはずで、大沢温泉を出発した時刻からすでに薄暗かったはずです。

谷あいの空の「銀製の薄明穹」、「そこらの銀のアトム」は、陽の名残りを含みつつ、沿道の杉やヒノキは、すでに黒曜石のように真暗になっていることが分かります。



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